つらつら日暮らし

11月2日 或る人の受戒

今日は11月2日である。ところで、元亨元年(1321)にこんな出来事があったとされる。

元亨元年〈辛酉〉本願の主、海野三郎〈信濃国に住す〉滋野信直、十一月二日、受戒して法名は妙浄とす。
    『洞谷記


海野三郎とは、曹洞宗の太祖・瑩山紹瑾禅師に、永光寺を建てるべき土地を寄進した女性(黙譜祖忍尼)の夫である。元々妻が信心深く、夫も続けて瑩山禅師の下で授戒し、仏縁を繋いでいる。『洞谷記』を見ると、この夫妻が熱心に瑩山禅師にお仕えする様子が分かるが、瑩山禅師も可能な限りこの夫妻の願いを叶えるべく御尽力された。無論、その願いとは、現当二世を祈ることであり、菩提を得ることこそがその願いになるが、この夫婦を以下のように讃えたこともある。

然る間、瑩山の今生の仏法修行は、此の檀越の信心に依って成就す。故に尽未来際、此を以て本願主の子子孫孫、当山大檀越大恩所と為すべし。
    『洞谷記』


さて、瑩山禅師が「妙浄」に対し、或る「仮名法語」を差し上げられた。かなりの年月知られていなかったようだが、岩手県の奥州市にある大梅拈華山円通正法寺(無底良韶禅師御開山)に伝わる『正法眼蔵雑文』という冊子が、衛藤即応先生によって紹介されて以来、知られた『洞谷開山瑩山和尚之法語』である。この法語の冒頭には「妙浄禅師に示す」とあって、受戒をした1321年以降、瑩山禅師が亡くなる1324年の間に授けられたものだと分かる。

ところで、この法語の内容ですが、世に広められて以降、極めて高い評価を受けている。道元禅師の『弁道話』を読み切った人でなければ示すことが出来ないものであり、曹洞宗の宗乗を説くには斯くあるべきというべきものである。従来の瑩山禅師の説かれた『伝光録』などとの相違、或いは道元禅師の教えとの相違が無いわけではないが、禅門に於いて見解の相違は大した問題ではなく、むしろその宗乗がどこまで極められていたかが肝心である。教えの殊劣や法の深浅ではなく、行の真偽を問うべきだと仰った道元禅師の指摘を忘れるべきではない。その意味に於いて、妙浄禅師に示された法語が残ったことは、法孫の幸運であるともいえる。

例えば、拙僧が初めて拝読し、思わず唸り声を上げてしまった一節がある。

知に二の道あり。一には万事を措いて一切の営みを止て心を清ます事、波なき水の如く雲なき空の如くに成りたる時、実に一切の相を離れたるなり。不回互にして成すと云なり。此の処に安住するに、今の坐禅一行三昧とも名つく、七仏の妙行・祖師の要義なり。縦へ又不得人も此法に安住すれは、知にも属せす不知にも属せすして、已に自ら道者と成なり。以後の諸仏も如何んとする事を不得、無為絶学の人となるなり。然れば悟と不悟を不顧、証と不証とを思わす、端坐して動せさる事、須弥の如くなるへし。即身成仏の直道也、諸仏の心印也、仏祖の密受也。故に名つけて大安楽の法門とす。是に非思量の修行とす。不修れは其の心を不可得なり。
    カナをかなにするなど一部表現を改める


解題などを見ると、「清心の行」などと呼ばれる一節になるが、よくよく読めば、道元禅師の『正法眼蔵』「坐禅箴」巻、そして『弁道話』の肝心なる思想を十分に受容されつつ、瑩山禅師御自身の印可証明の機縁ともなった「平常心」に関わる一節をも示されている。師である義介禅師が、瑩山禅師へ「平常心」の理解について問われると、「道、知・不知に属せず」とお答えになった(『洞谷記』)。しかも、この法語にも、その意図が反映されている。また、悟りの有無などを問わずに、とにかく坐禅すべきだという指摘、そしてそれを「大安楽の法門」といい「非思量の修行」ともされた言葉は、瑩山禅師の御境涯として、我々法孫は信受奉行するべきだといえる

なお、坐禅一行三昧に安住すれば、知にも不知にも属せず、しかし「道者」になるという言い回し、まさに「平常心」を問うた義介禅師に対し、道の境涯を以て答えた瑩山禅師の煖皮肉に触れる思いがする。そして、実際にそれに触れられた妙浄禅師はどのような思いでこれをお受けになったのか?顛末は分からないが、良い方向に進まれたことを、その受戒された日に願うものである。

仏教 - ブログ村ハッシュタグ
#仏教
名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

※ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最近の「仏教・禅宗・曹洞宗」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事