つらつら日暮らし

『大比丘三千威儀』に示す在家と出家の話

『大比丘三千威儀(または『三千威儀経』)』(上下巻)という文献がある。要するに、比丘として修めるべき、諸威儀や修行法などを簡潔に示した文献(なお、タイトルには「三千威儀」とあるが、本当に三千項目あるわけではない)なのだが、色々と学ぶことが出来るので、見るようにしたいという気持ちがある。今日は、その巻上の冒頭から引用してみた。

 仏弟子とは、二種有り、
 一つには在家、二つには出家なり。
 在家とは、初め五戒を受けて本と為し、三悪趣を遮り、人天の福を求む。以て未だ能く永く捨家・眷属・縁累を捨てざるが故に、更に三戒を加えて前の五戒を助け、一日一夜に未来世に永く出因縁を種えよ。
 出家とは、行に始終、上中下業有り。
 下出家とは、先づ十戒を以て本と為し、形を尽くして受持す、家・眷属・因縁・執作を捨て、俗人等に於いて是れ出家なり、具戒に於いての故に是れ在家なり、是れを下出家と名づく。
 其れ中出家とは、次に応に執作・縁務を捨て、八万四千の向道の因縁を具受す。作業・縁務を捨てると雖も、身口の行、意業、未だ能く清浄を具足せず、心結、猶お存し未だ出要することを得ず、上に及んでは不足し、下と比しては余り有り、是れを中出家と名づく。
 上出家とは、根心猛利にして、次に応に結使・纏縛を捨つ。結使・纏縛を捨つる者、要らず禅定・慧力を得る。禅定・慧力を得れば、心、解脱を得。解脱を得る者、身口意業を浄むと名づく、縁務・煩悩の家を出て、永く閑静・清涼の室に処す、是れを上出家と名づく。
    『大比丘三千威儀』巻上


本書のかなり初めの部分に見える内容だが、出家と在家という二種の仏弟子について詳述されている。そこで、まず在家のことだが、とりあえず五戒を受けて、三悪趣(三悪道に同じ)に陥らないようにして、人間界・天上界での福を求めるという。つまりは、仏道の成就までは至らないのである。それから、「三戒」云々は、「五戒」に3つ加えて、「八斎戒」にすることである。「八斎戒」とは、在家信者が寺院に行き、僧侶と共同生活を行う時に受けるものである。よって、「更に三戒を加えて前の五戒を助け、一日一夜に未来世に永く出因縁を種えよ」という話になる。

以上が在家への話である。

それで、出家については上中下の三段階を挙げている。下出家から挙げられているが、まずは十戒を持するという。これは沙弥であることを意味している。よって、具足戒を受けていないので、その点では在家と同じだとしている。

続く中出家だが、向道の因縁は得たものの、身口意の三業については、清浄を具足していないという。よって、下出家よりはましだが、上出家になれていないので、中出家だという。この中出家については、上記引用文の続きにまた詳細な説明があるのだが、それはまた別の機会に記事を書いてみたい。

上出家とは、自らの煩悩を捨て、解脱を得るまでに達した者をいう。解脱を得るとは、身口意の三業を清浄にさせるという。

以上の通り、在家と出家との違いを見てきたが、結局はどの戒を受けているかということと、自らの身口意の三業を、どこまで清浄としているかで分けていることが理解出来る。

ただし、上記引用文の冒頭で、「仏弟子とは、二種有り」とある通り、在家でも出家でも仏弟子には変わりないのである。それはしっかりと納得しておきたい。

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