つらつら日暮らし

納豆と仏教寺院について

納豆といえば、高機能大豆加工食品として人気がある。ところで、今日は7月10日、この日付の語呂合わせで「納豆の日」とされている。この納豆には、確かに「精進料理」のイメージがあるが、仏教寺院とも関係があったようである。

  納豆
〈釈名〉納の字、未だ詳らかならず。或いは謂う、僧家の庖厨を納所と号す。納豆は、近代、僧家多く造る故に、此の豆、僧家納所に出るを之に名づく。此も未だ的当と為さず。
    丹岳野必大千里『本朝食鑑』巻2「納豆」項、訓読は当方


この著作は、江戸時代前期の人見必大(1642?~1701)によって編集された文献である。そこで、「納豆」という用語について、以上のような説を紹介しているのだが、ここから、仏教寺院との関係があると指摘されている。この記事では、この内容の検証を行ってみたいと思うが、人見自身、「此も未だ的当と為さず」としているように、この説については決して十分な典拠を得ているわけでは無いといえよう。

なお、「納豆」だが、日本では平安時代には作られていたとされる。よって、上記は、「近代」とある通り、江戸時代の状況に基づいた説なので、今一つ説得力が無い。

そして、納豆を作っていたのが「納所」であったという記述だが、「納所」というのは元々「年貢を納める場所」或いは「年貢を納めること」を意味していた。そして、その仕事を掌る役人のことも、納所と呼んでいたが、これが転じて、日本仏教の寺院で、金銭の出納や、荘園からの年貢米を扱う仕事をする場所・役僧を、納所というようになった。

ここと、すぐに「納豆」は繋がっていないが、役僧たちが居住する場所である「庫院(現在では、食事を作る場所というイメージばかりあるが、それは狭義としての庫院になる)」を「納所」とも呼んだようなので、ここから食事を作る場所である庫院を納所と呼び、そこで作られていた大豆加工食品だから、「納豆」となったという話を人見が紹介していたと理解出来よう。

なんだか、最初は意気込んで記事を書き始めたのだが、思った以上に分からず、ちょっと残念な感じになった。

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