如来の十力・大悲・四無所畏、三解脱門・十八大空、六通・五眼、三十七品・十八不共法を修習すれば、三十二相・八十種好、一切諸仏の寿命、一切浄仏の国土、一切成就の衆生、一切の難行・苦行、一切の摂善法戒・一切の摂衆生戒・一切の摂律儀戒、一切の功徳、一切の智慧、一切の荘厳、一切の大願、一切の方便、是の如き等の不可思議福徳智慧、皆な已に成就して、具足せざること無し。
『大般涅槃経後分』「遺教品第一」
如来の持つ十力などを学べば、様々な功徳が得られる、という話なのだが、ここで重要なのは、如来の功徳として「三聚浄戒」もまた具足し、得られていくということである。
なお、元々の『大般涅槃経』には、「三聚浄戒」は見えないので、この辺は完全に追加した部分であるといえる・・・と思って改めて調べてみたが、少なくとも対応する語句としては出て来ない。『大般涅槃経』は「扶律談常」とも呼ばれるように、戒律に関する話は多く出てくるので、何かあるかと思ったが、「三聚浄戒」については出て来ない。
よって、他は別の「戒」についての教えを見ておきたい。
阿難、汝の問う所が如きは、仏、世を去りて後、何を以てか師と為すか、なり。阿難よ、尸波羅蜜戒、是れ汝が大師なり、之に依りて修行すれば、能く出世の甚深定慧を得ん。
同上
この辺の指示は、他の涅槃部経典にも類似の表現が見られるので、珍しくない。無論、大乗経典なので、「尸波羅蜜戒」となっている。ただし、この表記はかなり不思議で、他には見えないものであるので注意が必要。もともと、『後分』は中国成立とされるので、こういった不思議な表現があっても仕方ない。
本来なら、「尸羅波羅蜜」或いは「持戒波羅蜜」と表記されるべきものである。
それにしても、本経典は大乗『大般涅槃経』に欠けている、釈尊を荼毘に付す場面などが描かれ、結果、儀礼として参照されることがあった。ただし、思想的にはそれほど見るべき教えもなく、やはり無理矢理付け足した感が残る。しかし、そういう中で、「三聚浄戒」を敢えて付けたというのは、本経典の成立に、瑜伽戒の系統の人の関与があったということなのだろうか。
この辺の詳細は、専門的な論文も読んでみなければならないところである。