さすがに十年以上同じお寺、その中でも同じ檀家さんを回っているので、もう皆さん見知った顔になっております。そうすると、拙僧から余計なことを申し上げなくても、皆さんそれぞれに色々なお話しをされるもので、拙僧などはそれをただお聞きするのであります。
或いは、ちょっとした悩み事を聞くようなときもございます。
しかし、たいがいはこちらに話した段階でケリが付いてしまうケースも多いので、やはりこちらから余計なことは申し上げません。ただ聞くだけでございます。いつも、ここで棚経を回りますと、「説法は聞法に及かず」という言葉が身にしみます。これは、もともと浄土真宗さんあたりで使われた言葉らしいということだけ聞いたことがあるのですが、実際のところは良く分かりません。
説法が聞法に及かずなんて言われるとき、幾つかの状況を想定してみます。一つは単純に説法するよりも、お話を聞く方が教化としての実を挙げるのではないかという話です。棚経の場合はこれに当たります。二つは他人に説法するのであれば、それは聞法をしていなくては、自らの言葉を紡ぐことは出来ないと言うことです。師に就いて、その言葉を学んでおかないとダメだという話ですね。三つはどれだけ自らが勉強し、知識を得ているとしても、説法するときは聞法する方に理解していただかなくては意味が無く、実は、説法の現場とは説法者が問題ではなくて、聞法者こそ問題だという話ですね。
以上、大雑把に考えてみましたが、今日はとにかく檀家さんを回って、お仏壇に対してお経を唱えてまいります。朝7時過ぎから始まって、最後の家がだいたい19時くらい。軽く12時間労働でございます。
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