つらつら日暮らし

今日から秋彼岸

というタイトルにしつつも、実はそんなにネタはなくて、詳しくは去年のログをご覧いただければと思います。したがって、今のところは、とりあえずお彼岸の中日まではバタバタするのだろうなぁ、ということくらいであります。現在も遠征先の山梨県に来ておりまして、今日一日棚経があります。

さすがに十年以上同じお寺、その中でも同じ檀家さんを回っているので、もう皆さん見知った顔になっております。そうすると、拙僧から余計なことを申し上げなくても、皆さんそれぞれに色々なお話しをされるもので、拙僧などはそれをただお聞きするのであります。

或いは、ちょっとした悩み事を聞くようなときもございます。

しかし、たいがいはこちらに話した段階でケリが付いてしまうケースも多いので、やはりこちらから余計なことは申し上げません。ただ聞くだけでございます。いつも、ここで棚経を回りますと、「説法は聞法に及かず」という言葉が身にしみます。これは、もともと浄土真宗さんあたりで使われた言葉らしいということだけ聞いたことがあるのですが、実際のところは良く分かりません。

説法が聞法に及かずなんて言われるとき、幾つかの状況を想定してみます。一つは単純に説法するよりも、お話を聞く方が教化としての実を挙げるのではないかという話です。棚経の場合はこれに当たります。二つは他人に説法するのであれば、それは聞法をしていなくては、自らの言葉を紡ぐことは出来ないと言うことです。師に就いて、その言葉を学んでおかないとダメだという話ですね。三つはどれだけ自らが勉強し、知識を得ているとしても、説法するときは聞法する方に理解していただかなくては意味が無く、実は、説法の現場とは説法者が問題ではなくて、聞法者こそ問題だという話ですね。

以上、大雑把に考えてみましたが、今日はとにかく檀家さんを回って、お仏壇に対してお経を唱えてまいります。朝7時過ぎから始まって、最後の家がだいたい19時くらい。軽く12時間労働でございます。

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コメント一覧

tenjin95
皆さんコメントありがとうございます
> うさじい さん



なるほど、意外とそういった現場に入り込むことが得意そうな真宗さんには、あまり問題点がないのかと思っていましたが、その宗派ごとにそれぞれ問題はあるということですね。



「説法は聞法に及かず」は、実践は難しく、理念では簡単なのですが、ついつい口を出したくなってしまうのです。しかし、よくよく聞かないと説法は全く違うことをいっていることになります。それはただの僧侶の自己満足でしか在りません。それは避けるべきなのでしょう。



> 月光浴 さん



なるほど。

まぁ、結構その場のノリなんかがありまして、例えば拙僧もお檀家さんに何を話そうか?なんて考えていっても、まったく意味がないことも多くて、その意味では説法には決まった型なんか無いのでしょう。



逆にいえば、それは聞法のたまものなのであります。



> hanninmae_1976 さん



お励ましいただきまして、ありがとうございます。

無事終わって上京しました。



一期一会について、仰るとおりですね。

理念ではいけるつもりなんですけれども、その場ではついついこちらからの意見を押し付けて終わりになることが多いです。気を付けたいですね。それは、一会してないです。
hanninmae_1976
お疲れ様です
http://blog.goo.ne.jp/hanninmae_1976
>管理人様

私のいる地域では彼岸経は無いですし、ここ十年近く彼岸経の手伝いも行ってないので彼岸になった事すら忘れてました。

まあ正常な人間関係が構築できて「一期一会」の気持ちがあれば自ずと出来る行為のはずなんですが・・・ややもするとそれを実践するのが難しかったりもします。

何はともあれお疲れ様でした。
月光浴
お勤め、ありがとうございます。
http://blog.goo.ne.jp/moon_ray39/
私どもに来ていただくわけではございませんが、思わずこういうタイトルを付けてしまいました。



我が家に来られるお寺様、40歳のご住職様です。

現代的なお話をされることが多く、ブログでいえば「社会ネタ・時事ネタ」もお好きのようです。

23日に来ていただきますが、何をお話しようか今から考えているしだいです。



「説法は聞法に及かず」!

体内に沁みわたってきます。

素敵なことを教えていただきました。
うさじい
「説法は聞法に及かず」
もう大分前、まだ富山にいた頃に北信越管区の研修に来られた医者(真宗の僧侶)に終末医療についてお話を伺いました。



その方の仰るには、終末医療の現場において患者さんの話相手になるのは曹洞宗のお坊さんがよいのだそうです。それは、患者さんの「良い聞き手」に徹してくれるからだということでした。



お世辞かもしれませんが、真宗のお坊さんは喋り過ぎて患者さんの話を聞かないので困った、というお話をされていました。、「説法は聞法に及かず」ですね。

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