前回【(10)】で紹介したように『法華経』「従地湧出品」は端折りぶりが基本なんて事を言ったのだが、また重大な端折りぶりを確認してみよう。とにかくとんでもない数の菩薩・摩訶薩が地面から出てくるのだが、彼らはさまざまな方法を使って、世尊=ブッダを鑽仰するのである。しかし、とんでもない数(推定:六万恒河沙?)だから、1人1秒でも六万恒河沙秒?かかるのである。なお、実際には「五十小劫を逕たり」と書いてある。「一小劫」は(さまざまな基準はあるが)43億2千万年らしく、その50倍だから2160億年?ちょっと短いんじゃないのか?
とりあえず、数字的な整合性はともかくも鑽仰してもらう側のブッダも五十小劫待たなければならないわけだ。しかしブッダは神通力を使って「半日の如くと謂わしむ」としてしまった。凄い時間圧縮、というか端折りですな。
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