万菴曰く、叢林の至る所、邪説熾然たり。
乃ち云く、戒律必ずしも持せず、定慧必ずしも習わず、道徳必ずしも修めず、嗜欲必ずしも去らず。
又た、維摩・円覚を引いて証と為し、貪瞋痴・殺盗婬を賛じて梵行と為す。烏乎、斯の言、豈に特に叢林今日の害を起こすのみならんや。真に法門万世の害なり。
且た博地の凡夫、貪瞋愛欲・人我無明、念念攀縁して、一鼎の沸くが如し。何に由りて清冷せん。
先聖、必ず大に此に於こる者の有ることを思って、遂に戒定慧の三学を設けて以てこれを制す。庶くは迴すべきなり。
今、後生晩進、戒律を持さず、定慧習わず、道徳修めず、専ら博学強弁を以て流俗を搖動す。これを牽くとも返ること莫し。
予、固より所謂、斯の言は乃ち万世の害なり。惟うに正因行脚の高士、当に生死の一著を以て弁明して誠を持し信を存して此の輩の為に牽引せられざるべし。
乃ち曰く、此の言信ずべからず。鴆毒の糞、蛇飲の水の如し。聞見猶お不可なり。況んやこれを食せんや。其れ人を殺すこと疑い無し。識者は自然にこれを遠ざく。 (草堂に与うるの書)
延宝9年版『禅門宝訓』下巻・30丁表~裏、原典に従って訓読す
この言葉を発した万菴だが、『続伝灯録』巻32から万菴道顔(号は卍菴とも表記される)という人で、元々は圜悟克勤の下に参じていたようだが、中々大悟出来ずにいて、結果としてその法嗣である大慧宗杲の法を嗣いだことなどが知られる。『禅門宝訓』には、「万菴曰く」として多くの法語などが掲載されているが、上記一節などを見る限り、宋朝禅に於ける弊風などを強く歎く人であったらしい。
いわれていることは、当時の叢林では邪説が盛んであり、その内容は禅僧たる者、戒律を守らなくても良いし、禅定・智慧を習わなくても良いし、仏道の徳を修めなくても良いし、自らの欲望を抑えなくても良いというのである。そして、その者達は、『維摩経』「観衆生品」や『円覚経』「清浄慧菩薩章」などを引きながら、先のような見解を補強していたという。
しかし、万菴はそのような凡夫が世に増えることを見越して、既に大聖釈尊は、戒定慧の三学を設けて制していたという。その意義を正しく学ぶことを万菴は求めたのであった。ところで、この説について拙僧が知ったのは、江戸時代の曹洞宗の学僧・卍山道白禅師による『禅戒訣』によってである。卍山禅師は先の一節を引いた後で、以下のように続けた。
今日、卍菴のいわゆる博学強弁なる者、万中に一無し。只内に名利を抱え、外に殊勝を現す。専ら曲学妄弁を以て、流俗を揺動し、法門を玷辱す。之を牽いて返すこと莫し。怨む哉、怨む哉。
『禅戒訣註解』、『曹洞宗全書』「禅戒」巻・379頁上段、訓読は拙僧
以上のように、凡夫が三学を学ばず、万菴の時代よりも更に悪化した当代を歎いている。合わせて、その註釈書である卍海宗珊禅師『禅戒訣註解』でも、「仏法を売る賊」「威儀賊」「魔党賊」として批判した。拙僧つらつら鑑みるに、上記の時代よりも更に悪化したかもしれないような現代に於いては、果たして卍菴・卍山・卍海三禅師の言葉をどう受け止めれば良いのだろうか?!
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