それで、以前の記事では奈良時代の制定された僧侶への位階である【四位十三階】を論じたのだが、詳細を『緇門正儀』で載せている内容から検討してみたい。
僧綱
官
一 権律師
称徳帝天平神護中之を置く
承和三年五月十日実慧之に任ず
一 中律師
宝亀三年十月庚辰、僧永厳を以て大律師と為し、善栄を中律師と為す〈続紀三十二〉
一 律師〈五位相当〉
天武天皇十二年三月己丑、僧正・僧都・律師を任ず、因て以て勅して曰く、僧尼を統領すること、法の如くせよ〈紀二十九〉
一 大律師
前に已出
『緇門正儀』13丁裏~14丁表
「僧綱」の内、「律師」の紹介である。そして、当初の「律師」から、最終的に「権律師・中律師・大律師」の三階が加わった様子が分かる。古いのは五位相当の「律師」で、これは天武天皇12年(683)の時に、他の僧綱(僧正・僧都)とともに定められた。
そしてその後、称徳天皇の時代、天平神護年間(765~767)に権律師が、「律師」の下に定められ、更に宝亀3年(772)に大律師と中律師とが定められたのである。
それから、気になるのが「律師」を定めた時の「勅」で、「僧尼を統領すること、法の如くせよ」とあるが、ここの「法」とは何を意味していたのだろうか?ただ、『日本書紀』巻29の当該箇所を見ても、これ以上の詳細は分からない。結局、その前からの全部を理解しないとダメなのかな・・・
【参考資料】
釈雲照律師『緇門正儀』森江佐七・明治13年
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