大科第十一 正受戒
然るに釈迦牟尼仏、如上の諸仏相承の戒を以て、文殊師利菩薩の請に赴き、本妙一心の戒を授く。
然して後、文殊師利、後魏の代に逮んで、五台山真容院に於いて、三蔵法師菩提流支に授く。菩提流支は北斉曇鸞菩薩に授く。曇鸞菩薩は、玄忠寺道綽禅師に授く。道綽禅師は、光明院の善導禅師に授く。善導は夢中に、日本華洛に来て、沙門源空に授く。
『続浄土宗全書』巻15・80頁、訓読は原典に従いつつ拙僧
ここからは、前回の記事で採り上げた「一心本妙の戒」「相伝戒」「発得現前功徳の戒」については、相互に関係性がある、或いは、次第に展開していくのかもしれない。その様子として、まず釈尊までの諸仏相承の戒を文殊菩薩に授けたといい、それが「一心本妙戒」だというが、典拠は不明。用語の用例の傾向からは、『首楞厳経』に因むかと思われるが、戒としての用例は無い。
また、その文殊菩薩が中国五台山に出現して、そこから菩提流支⇒曇鸞⇒道綽⇒善導⇒源空(法然)へと相承され、これが「相伝戒」に該当する。とはいえ、禅宗のような「面授」では無い。そういえば、文殊から菩提流支への相承というのは、何か典拠があるのだろうか。
良く知られているのは、菩提流支(或いは志)は文殊に因む経典を複数訳出しており、そのため、ここの相承が指摘された可能性はある。ただし、五台山真容院での相承の記録は、少なくとも見当たらない(もちろん、拙僧の調べ方が悪いとは思う)。よって、後代に創作された可能性も捨て切れない。
それから、最後、善導から源空への相承は、「夢中」でとある通り、夢の中で伝授されたという。そのため、『浄土布薩式』本文では、「夢中での相承」の内容を論じている。
夢中に戒を与授するの例は、粱朝の摂論に戒を学する中に、毘奈耶瞿沙毘仏略経の説を引くに、菩薩戒は十万種の差別有り、茲の大本の如く、未だ此の城に沾さず。
又、上代の諸徳、相伝して云く、真諦三蔵は将に菩薩の律蔵を将ちて、震旦に来んと擬す、南海に於て船に上るに、船便ち没せんと欲す、余物を省去すれども、船仍りて猶お起たず、唯だ大乗の律本を去して、船方に進むことを得る。真諦、歎じて曰く、菩薩の戒律、漢土に縁無し、と。深く悲しむべき矣。
又、曇無織〈織の字、讖と作すは正なり、織、以下同じ〉三蔵、西涼州に於いて、沙門法進等有りて、織に菩薩戒を受けんと求め、并に菩薩戒本を翻じたまへと請す。織曰く、此の国人等の、性に狡猾多し、又、剛節無し、豈に菩薩道の器と為るに堪ること有んや。遂に与授せざる。苦んごろに請するも獲らず。遂に仏像の前に於いて誓邀を立て、告節を期して菩薩戒を求め、七日纔に満ずるに、夢に弥勒を見、親しく大戒を与授す、并に菩薩戒本を授く。立ち所に皆誦し得たり。後に覚め已りて織に見うるに、織、其の相異なることを覩る。乃ち喟然として歎じて曰く、漢土に亦人有る矣。即ち、菩薩戒一本一巻を訳出して与ふ。進の夢に誦すると、文義釈同じ。今、別行の地持戒本の首めに、帰命の偈を安ずるものなり〈已上〉。
同上、同頁
まず、冒頭の『毘奈耶瞿沙毘仏略経』から「菩薩戒は十万種の差別有り」を引用したとされているのは、真諦釈『摂大乗論釈』ではあるのだが、続いて真諦三蔵の菩薩律蔵を中国に将来しようとした際の一事と、曇無讖と法進の菩薩戒本訳出の話が見えることから、この一節が法蔵『梵網経菩薩戒本疏』巻1からの引用だと判断出来る。そして、おそらく良く知られているため、これ以上解説が要らない。その上で、
僧祇律に云く、夢の類ひに五種有り、
一には実夢、
二には不実夢、
三には不明了夢、
四には夢中見夢、
五には前想後夢、是れなり。
彼の法進の見る所の夢は、即ち第一の実夢なり。昔し、法進は何ん人なれば、弥勒夢中に来て大戒を授く。余は、何かなる身なれば、導師来て大戒を授けたまふ。
凡そ五種の夢中に、初の一夢は信ずべし。是れ実夢なるが故に。後の四種は、信ずべからず。泥らべからず。或は夢に悪相を見れども、敢えて怖るるべからず。或は但だ虚無不実の思を作し、或は善夢の思を作すべきなり。
同上、80~81頁
これは、『摩訶僧祇律』巻5「明僧残戒之一」からの引用だと思われるが、原文は以下の通り。
夢とは、五種有り、何等をか五なるや。
一には実夢、
二には不実夢、
三には不明了夢、
四には夢中夢、
五には先想而後夢、
是れを五と為す。
何ものか実夢なるや、所謂、如来の菩薩為りし時、五種の夢を見て実に異ならざるが如し、是れを実夢と名づく。
不実夢は、若し人の夢を見て、覚めて実ならず、是れを不実夢と名づく。
不明了夢は、其の夢の前後中間を記さざるが如し、是れを不明了夢と謂う。
夢中夢は、夢を見て即ち、夢中に人の為に夢を説く、是れを夢中夢と名づく。
先想而後夢は、昼に想を作す所、夜に便輒ち夢みる、是れを先想後夢と名づく。
『摩訶僧祇律』巻5「明僧残戒之一」
それで、この内、先に挙げた法進の見た夢は、第一の「実夢」であるとしている。理由は、実際に夢を見た中で弥勒菩薩から戒を得たところ、その後、実際に曇無讖から菩薩戒を受けた話になるからである。なお、この法進についての論評は、『浄土布薩式』著者の見解になるようである。
なお、夢についての話はまだ続くのだが、問答体になっていくので、次回に扱うこととしたい。
【参考資料】
・宗書保存会『続浄土宗全書』巻15、大正14年
・浄土布薩式(新編浄土宗大辞典web版)
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