さて右の通り釈迦の始めたる仏法と云ものは、死生をはなれ三界と云を出で、天地の外のものとならふとする事故、君も父をもすて、妻子の愛情をもいさぎよくはなれねば得られぬと云の教で、真の人間には、とんと出来ぬ事でござる。然るを後世に出来たる仏経や緒論に、これをさも有んさまにいつてあるけれども、そりや釈迦の本意ではないでござる。論より証拠は已に釈迦が出山成道して国へ還り、神通やら説法やらで、其父浄飯王并におのが妻も不承知なる所を、かの羅睺邏を先出家せしめ、さて近き親属は残らずと云程のこと同じ流れの一家八万四千人を弟子となし、其後も国中の人々をのこらず僧にせんとかまへたでござる。能々のことなれば父の浄飯王が釈迦になげきて、これでは国計永く絶んといつたことも経文にも見へる。なんとこれでも人の真の道にかなはふか。邪さの道ではあるまいか。さてかやうに説き弘めいひならしたる年数が、およそ四十余年の間でござる。
『平田先生講説 出定笑語(外三篇)』77~78頁
まず、ここから篤胤が釈尊の仏法をどのように理解しているのかが分かる。特に、死生を離れ、三界を出て、天地の外のものになることが重要だという。その結果、俗世間に於ける恩愛などを捨てるというのだが、それは「真の人間」には出来ないという。そもそも、「真の人間」とは何なのか?とは思うが、これは篤胤の国学に於ける独断的定義である。
また、篤胤は「真の人間」には出来ないことを主張している釈尊の仏法を、おそらくは「誰にも理解出来まい」と判断し、そこで、「釈迦の本意」を理解しなかった後代の者達が作った仏経・論書は、内容に問題があるとしている。
釈尊の行いとしては、神通や説法などで、親族を全員出家させ、その後も、国中の人々を仏教の出家者にしようとしたとしているが、それは事実だろうか?少なくとも、これまで見てきた教えでは、ここまでは言えない。ただ、浄飯王が親族が次々に出家する様子を歎いたのは記録上に存在している。ただ、この結果、他の親族の許可を得るようになっており、全員出家という話とは違っている。
ただ、篤胤はその様子を勝手に、「人の真の道」に契わないことだとしているが、それは大きなお世話である。
【参考文献】
・鷲尾順敬編『平田先生講説 出定笑語(外三篇)』(東方書院・日本思想闘諍史料、昭和5[1930]年)
・宝松岩雄編『平田翁講演集』(法文館書店、大正2[1913]年)
・平田篤胤講演『出定笑語(本編4冊・附録3冊)』版本・刊記無し
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