今回の記事だが、他とは異なる記載をした一節だったので、見ておきたい。
一 依止闍黎
唐末に多く受依止の闍黎一員を立て、亦、法主と称す。宋朝、秉律員位、最も高き者を宗主と号す。亦、同じきなり。依止闍黎、或いは勅補の者に当たる〈云云〉。
私に謂わく、明律、五徳を具して、能く僧の父母と為るに堪たる者を依止の闍黎と為るなり。
『緇門正儀』7丁表、訓読は原典を参照しつつ当方
先ほど、他とは異なる記載であったという指摘をしたが、それはこの一節、珍しく「私に謂わく」の一節というか、註記が加わっていることである。なお、上記一節の本文は、いつも通り『大宋僧史略』巻中「三十五雑任職員」からの引用である。そこで、何といっているかというと、「依止闍黎」とは、比丘となってまだ、5年経っていない者が、依止するべき相手のことを指して、「依止闍黎(闍黎は阿闍梨で、比丘となってから5年以上経過した者)」と呼んでいる。
詳細を見ていくと、唐末とあるので、唐代(618~907)の末期に、依止を受け付ける闍黎の中で、1人を「法主」と称したという。そして、それが宋代(北宋:960~1127、南宋:1127~1279)になると、律宗の中で最高位の者を宗主と称したというが、それと法主とは同じであるという。また、「勅補」とは皇帝からの勅で職が補されたことをいう。よって、極めて重要であったとしている。
さて、それでは上記のことについて釈雲照律師がどのように註記しているかというと、結局、依止闍黎とは律を明らかにし、五徳を具え、僧にとっての父母となるような者こそ、依止の闍黎になり得るということである。この場合の「五徳」とは、以前【持律・持戒の人の五徳とは】という記事で書いた「五徳」が該当する。
つまり、雲照律師は、依止師としての条件について、「依止闍黎」に読み込んだということになるのだろう。それが法主や宗主と呼称されることへの批判については、ちょっと分からなかったが、実は『緇門正儀』では既に立項されていて、特に「宗主」の見解は、上記内容と一致している。しかし、可否については判断されていないので、総じては法主や宗主としての呼称はさておいて、依止闍黎に必要な徳を論じたものだと頂戴しておきたい。
【参考資料】
釈雲照律師『緇門正儀』森江佐七・明治13年
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