ところで、明治時代に宗政や宗学振興に尽力された来馬琢道老師の『禅門宝鑑』(鴻盟社・明治44年)には、得度作法が記されている。そうなると、理想論としては室内で伝授されるべき作法だが、それが契わない宗侶にとっては、『禅門宝鑑』の作法は大いに需要があったはずである。そこで、今回は同書の得度作法を概観してみたい。なお、編入されているのは「第九編 臨時法式」の「第一、得度式作法」である。
・準備
・鳴鐘入室
・十仏名(三帰依文・十仏名・歎徳文)
・剃髪(礼拝・出世間の偈・出家の偈・発菩提心の偈・周羅の一結剃除・毀形の偈)
・安名
・授坐具衣鉢(尼師壇・五条衣・七条衣・九条衣・鉢盂)
・授菩薩戒法(懺悔・三帰戒・沙弥戒[※菩薩戒]・三聚浄戒・十重禁戒)
・回向(回向文・略三宝)
・後唄文
・普同三拝
・退堂
以上の通りである。授けられる戒本などから、これは面山禅師編『得度略作法』を元に作られていることが分かる。特に重要なのは、面山禅師系である場合、道元禅師に由来する『出家略作法』と違って、「在家五戒」の授与がなく、「沙弥十戒」についても菩薩戒で授与される。また、『血脈』授与がない。そのため、出家の段階に於ける師匠筋の法脈の確認は、本来存在しないと思われる。
そして、ここから昭和に入って『行持軌範』に見えるようになった得度作法は「十六條戒」のみとし、沙弥戒もなく、一方で『血脈』授与はある。無論、在家者にも授戒会で『血脈』を授けるのだから、仏道への機縁を受けるための功徳を得る手段として、機能すると考えられたこともあろう。
ただし、それが別の問題も引き起こし、いわゆる「一師印証」が勘違いされて、得度の師匠(受業師)の法系を重視するという見解を述べる人もいる。だが、それは明らかな誤りで、例えば、道元禅師も門人の理観や心地覚心などに戒脈を授けたとはいうが、出家の時の天台宗の戒脈は授けていないのである。いや、得度はしてもらったが、『血脈』は貰っていないと思われるので、そもそもの授けるべき法脈の不在を指摘するものである。
そう考えると、後々扱いが困ることもあるので、出家時の『血脈』授与は止めるべき、或いは各室中に任せるべきという考えもあるのかもしれないが、この辺は今後も様々な機会を通して議論を深めていかなければならないところである。
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