それで、色々と見てみるけど、その法語が何を意味するのかが分からなかった。ちょっと調べただけだと、中々出て来なかったためである。しかし、どうやらその見解の出典は、臨済宗の『諸回向清規』だったようである。これは、読んでなければ分からない・・・とりあえず見ておこう。
○百丈禅師通下火
三界に法無く、何れの処に心を求めん。四大、本より空なり。所以に心空及第にして帰す。且く道え。作麼生か是れ心空及第の処。(火把を以て一円相を打して云く)大火に焼かれる所の時、我が此の土は安穏なり。
『諸回向清規』巻5
「下火」とは、「下炬」ともいうが、龕に入った亡者の亡骸の下に多くの木材を組み、それを燃焼材として焼くときの「点火」を意味する。火の点いたたいまつ(=炬)を持ち、その燃やすべき対象に下す。火、或いは炬を下すから、「下火」「下炬」という。よって、この法語を、百丈禅師が「通下火」として用いていたものであったとされてきたわけである。なお、「通」は、勿論「通じて」の意味だが、何に通じているかといえば、「出家(亡僧)」と「在家」に通じて用いられるものであるといえる。
現代の喪儀法にも、「引導法語」がある。それは、引導を渡すために唱えられる言葉であるとばかり理解されているが、本当は、この時に火も点けたのである。今は、法律その他諸事情で、火葬場でしか焼けないから、この法語を唱える儀式も、結局は火を点けるフリをするだけになってしまったが、そこに我々は、かつての禅僧が行っていた儀式と同様の緊張感と、亡者への供養の念を持たねばならないといえよう。
ところで、こういう事情があるので、禅宗では中国、しかも8世紀から在家の喪儀に関わっていたのであって、日本から「葬式仏教」になったというのは言い切れるのか?という想いがある。中国での喪儀法に影響を与えたのは、漢訳された『仏説無常経』に、合わされた「臨終方訣」という作法も含めた仏典であり、それには火葬の方法も書かれている。本来は、儒教の『孝経』に見る葬法などがあったのだろうが、そこから少しでも離脱し、仏教式が模索された。徐々に、その方法は独自なものとなりつつ、一部では儒教や道教と習合した。
さて、以上の前置きをしてから、「百丈禅師通下火」を見ていきたいと思うのだが、百丈に帰せられているとはいえ、この法語の元ネタは、おそらく盤山宝積禅師(生没年不詳)である。後の中国の禅語録では、「三界無法、何処求心」を「盤山、垂語に云く」とするためである。盤山宝積は、馬祖道一の法嗣であるから、百丈とは兄弟弟子である。だから、この時代から用いられていたといって良いが、果たして、兄弟弟子の垂語をそのまま使うことがあるだろうか。よって、当方自身の個人的見解として、この「百丈禅師通下火」は、本来盤山のものであったか、後代の者がまとめたものである。
しかし、死者に向ける言葉としては適当であるし、火を点けてからの転語(出典は『妙法蓮華経』「如来寿量品」)を見ると、良く考えられているとは思う。つまり、亡者に対して、「本来空」を説きながら、執着すべき煩悩のないことを示しつつ、しかも火に焼かれても、世尊が述べた「我此土安穏」を説いて、何も恐怖することはないと述べるのである。その点から、この法語の流れが良く出来ているというのである。無論、この「此土」とは、極楽浄土ではないし、兜率天でもない。後に「霊山浄土」とも呼ばれる、釈尊の在す地である。
結果的に、この「下火法語」は、釈尊信仰に帰する内容だといって良い。
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