つらつら日暮らし

「安名」考(序)

現在、我々曹洞宗が行う「檀信徒喪儀法」では、授戒し、戒名を以てその亡くなられた方をお呼びするにも関わらず、式中には「安名」の儀が無いとの指摘がある。確かに、いきなり授戒の最初から、「それ新帰元〈戒名〉・・・」とやるわけで、「いつ名前を授けたのか?」と疑門に思うのは、当然の事かもしれない。

今さらではあるが、現行の「出家得度作法」では、次のようになっている。

●出家得度式作法
殿鐘三会大衆上殿
本師上殿
上香普同三拝
洒水
受者上殿
奉請
礼讃文
剃髪
授直綴
安名(←ここで法名を授ける)
授坐具衣鉢
授菩薩戒法
 懺悔
 三帰戒
 三聚浄戒
 十重禁戒
 血脈授与
 回向
 処世界梵
普同三拝
散堂


つまり、頭を剃り、衣服を授けた段階で僧侶としての名前を授けているのである。ところで、この辺、例えば、これ以前の「出家得度式」の作法では、どうなっているのだろうか?一例として、道元禅師が嘉禎3年(1237)に撰述されたという『出家略作法』では、この辺、次のようになっている。

●『出家略作法』

・出家の儀
礼拝(国王・氏神・父母・仏・受業師)
剃髪
換衣(俗服を脱ぎ、衣[直綴]を着ける)
授坐具
授袈裟
授授戒作法
授懺悔・三帰・五戒・沙弥十戒・菩薩三聚浄戒・十重禁戒
礼拝(仏)
退堂

・菩薩聴受戒文
奉請三宝(戒師による)
戒師陞座
 受者礼拝(仏)
 洒水
 懺悔
 三帰戒
 三聚浄戒
 十重禁戒
 回向


このような流れとなっていて、実は「安名」のことは出ていない。よって、式の前後、どこかで付けたものと思われる。ここから分かることは、「戒名」というのは、「授戒」ともちろん連動しているけれども、「授戒の儀式」そのものとは関係が無い可能性を指摘すべきである。そして、この疑問を解決するには、様々な「得度作法」を元に考察する必要がある。それから、様々な祖師方に於ける「安名」の現場を見ていく必要がある。

高、初め山に到って便ち出家せんと欲す。山僧、未だ許さず。云く、父母、法を聴さざれば、得度せざる。高、是に於いて暫く家に還り、入道を啓求す。渉ること両旬を経て方に先の志を卒ぐ。既に俗に背き世に乖く。名を玄高と改む。聡敏生知にして、学するに思を加えず。年、十五に至って已に山僧の為に法を説き、受戒の已後、専ら禅・律を精しくす。
    『高僧伝』巻11習禅・釈玄高


このような事例を見出すことが出来た。ここでは、なかなか得度を許されなかった玄高が、ようやく許されると、名前を「玄高」に改め、しばらく修行する間に既に師を超え、そして、15歳を過ぎて受戒を許されると、それから、「禅・律」などを専ら修めたとある。よって、名前を変えたのは、受戒よりもかなり前のことだと分かる。実は、受戒を安名とが分かれていた事例というのは、決して珍しくは無い。菩提達磨なども、伝記上は元々の名前は菩提多羅であった。そして、出家・受戒した後、(タイミングは不分明だが)七日間の坐禅を経て「無上智」を発した段階で、師である般若多羅から「菩提達磨」と名乗るようにいわれている。

また、道元禅師も、伝記上は何時から僧名に改めたかは良く分からない。そこで、これは、当方もあちこちに文章を書く場合には、一応、「比叡山で出家のタイミングに合わせて名乗るようになった」というような書き方をしている。実際には分からないのだから仕方ない。実際には、叔父の良顕法印に、千光房へ留学させてもらった時かもしれないし、比叡山での出家受戒の時や、或いは建仁寺に行ったときなど、複数の可能性(とはいえ、比叡山だとは思うが)があり不分明なのである。

よって、今の檀信徒喪儀法に「安名」が無いというのは、上記内容に鑑みるとき、むしろ、「安名」が差定に組み込まれている方が珍しいかもしれない、という問題点を引き起こすのである。以前もこの辺は少し考えたことがあるが、様々な資料の考察を経て、この辺は明らかにしていく必要があろう。

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