さておき、この7月については、一部地域で盂蘭盆会となる。然るに、曹洞宗では伝統的に、盂蘭盆会には施食会を併修してきたのだが、その理解を正しく行うために、以下の一節を学んでおきたい。
七月一日より、施餓鬼。「結縁看経牌」を、便宜の所にこれを出す。
牓に云く、「法王解制の辰、衆僧自恣の日。行道周円にして、功徳成就す。当に此の時に当たりて、釈尊は忉利に於いて説法し、大術の恩に報ず。目連、食を盆器に設け、悲母の苦を救う。鳴呼、目連尊者、神力を得て母儀の生処を見て、遂にこれを救済す。我等の道眼、瞎却して、今、恩所の生生の処を見ること能わず。何れの苦を受け、何れの悪趣に在るかを知らず。仏言く、世人、子の為に多罪を造りて、三途に堕在し、長く苦を受ける。然らば則ち、彼の苦を受くるは、我等の致す所なり。若し、抜済せずんば、永劫に沈淪す。何れの極むるか有らん。故に各おの悲愍懇哀の心に住して、大乗経、並びに秘蜜神咒・諸尊宝号等を誦して、十界聖凡の衆に回向し、報地を円満せんことを。
苦患を停息するの品目、後に在り。
妙法蓮華経 梵網菩薩戒経 盂蘭盆経 仏遺教経 某甲経
元亨四年七月日 堂司比丘 〈某甲〉 敬 〈勧、化〉」
禅林寺本『瑩山清規』天巻、訓読は拙僧
まず上記一節については、瑩山禅師は7月1日以降は施食会を行うことを大衆に示すために、この文章が書かれた板を寺内に貼り出した。
先ほど、盂蘭盆会と施食会の併修について指摘したが、元々盂蘭盆会とは、日本では『仏説盂蘭盆経』に従って行われる行持であり、それは夏安居の解制日(7月15日)となっている。そのことを、「法王解制の辰、衆僧自恣の日」とするのである。具体的には、釈尊の「忉利天」での説法と、目連尊者が行った母親の苦悩からの解脱が挙げられている。まず、前者については、『摩訶摩耶経』などに説かれる因縁で、釈尊が大悟した後で、既に死去していた母親の摩耶夫人のために、夫人がおられた忉利天にまで昇って、説法したのであった。
なお、これが何故、解制の日に当たると考えられたのかであるが、同経の冒頭は、「一時、仏、忉利天歓喜園中に在して、波利質多羅樹下に三月安居す」とあるが、一般的にはこの三ヶ月間説法したとなっているが、瑩山禅師は同経中盤以降の説法を三月安居の後、つまりは解制時だと思われたのだろう。
それから、「目連、食を盆器に設け、悲母の苦を救う」の部分が、『仏説盂蘭盆経』の内容に当たっている。上記一節の通りで、自らの神通力で母が生まれ変わった先で苦しんでいることを知った目連尊者は、釈尊の指導を受けつつ、その苦悩を解放させたのであった。文中に見える「仏言く」以下については、その典拠が不明ではあるが、瑩山禅師は自分の親などの苦悩を解放するために、「大乗経、並びに秘蜜神咒・諸尊宝号等を誦して」とある通り、様々な大乗経典などを読んで供養したという。
それについては、「妙法蓮華経 梵網菩薩戒経 盂蘭盆経 仏遺教経 某甲経」とある通りなのだろう。まずは「大乗経典」の代表とも言える『法華経』を読み、併せて、自恣の日であるから戒経も読むことで、その功徳の広大さを示されたのであった。
拙僧つらつら鑑みるに、瑩山禅師は既に、盂蘭盆会と施食会を併修することを当たり前とし、しかもこれを、既に亡くなった実母に対して回向された故事を中心にお話しされている。この辺から、日本での先祖供養のあり方などと関連したと見るべきなのだろう。なお、経緯の一端については、【施食会―つらつら日暮らしWiki】などもご覧いただくと良いと思う。
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