冬至の上堂。
年年、一を加う三陽の一。旧に非ず新に非ず、功、転た深し。
佳節佳辰、千万化。噇眠喫飯、今より起こる。
『永平広録』巻1-115上堂
道元禅師は仁治3年(1242)に興聖寺で行われた冬至の上堂(11月22日だったと思われる)で次のように示された。毎年毎年、この日には一陽来復する三陽の一である。よって、今日は古くもなく新しくもないが、その働きは極めて深いのである。良い時節、良い時間であって、千変万化していくのだ。睡りを貪り、食事を摂るという日常底も、今から起きるのである、と示された。
さて、冬至とは、一年の内でもっとも昼の長さが短い冬の極点の日とされており、中国古来の陰陽五行思想などでは、陰が極まり陽の始まる日であるとされ、一陽来復(冬が去り春に向かうという意味)の日として祝うことになっていた。そこで、世俗にも様々な「冬至食」として冬至かぼちゃや冬至粥などが知られている。
そこで、道元禅師は「一陽来復」という事象そのものを考察し、以上のような上堂を行っていると理解可能である。我々自身は、何かに極まると、その状態が永遠に続くものだと思ってしまうが、現実としては盛者は必衰するし、今どん底でも何かの折には好転するという陰陽の互換こそが、この世界の習わしである。
よって、これまでは冬の極点日に向かってきた状況が、この冬至を機に陽に転じていく、しかし、そのまさに転じる時、それこそが「旧に非ず新に非ず」とされる事態である。転じる、まさにその時、我々は観念的に時間などを知ることは出来ない。もっと、混沌とした状況で、ただ変わっていくという力を感じる。そして、その力を純粋に表現すれば、「功、転た深し」とせざるを得ないし、「千万化」や「今より起こる」という表現にならざるを得ない。
我々自身の知覚は、必ず変化の前、変化の後と、その「配置」にほとんどが費やされてしまうことになるが、しかし、実際には、その「渦中」にあることによって、その配置も可能となり、渦中におらずに配置するのは、ただ物事を遠くから眺めてあれこれ言っているに過ぎない。その意味で、陽機の原点を、日常の修行に置いたということは、まさに修行の原動力を、陽機に求めていることに他ならない。
今日は、そういった「次への力」を感受する大切な日なのである。
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