つらつら日暮らし

「安名」の語について

これは、【安名と戒名について】の続編的記事である。それで、宗門に於ける「安名」という語の典拠について、少し遡ることが出来たので、それを記事にしておきたい。なお、前回の記事では、中国などでの用法に着目して記事にしたけれども、今回は宗門に於ける諸清規・諸作法から検討してみたい。

まず、繰り返しになるけれども、道元禅師に由来する『出家略作法』には江戸時代の面山瑞方禅師校訂本(『得度略作法』)も含めて、「安名」の語は出ていない。確認だが、弟子に授けるもの(名前を書いた紙)も、「名前を与える」意味での語の両方とも出ていないのである(なお、『得度略作法』には「出家の名を与う」とあって、実質的な「安名」相当の作法は見える)。よって、道元禅師の頃は、出家に因む名前(僧名・戒名)の授与に、「安名」とは使われていなかったことを指摘するものである。

それで、江戸時代になってきて、出家得度作法が多様化してくると、幾つかこの語を用いる場合が出てくる。

まず、天保9年(1838)に例言が書かれた黄泉無着禅師『永平小清規翼』には、準備物としての「安名」が見える。

先ず室内の正面に仏像或いは祖真を安ず。左辺に本師の椅を設け、卓上に柄炉・洒水・戒文・界方・剃刀・安名・直綴・坐具・衣鉢・戒脈を安ず。
    『永平小清規翼(下)』「沙弥得度」項、『曹洞宗全書』「清規」巻・423頁下段


このようにあって、「安名」は準備物の中に入っており、多分に出家したときの名前が書かれた紙を指していると思われる。それで、道元禅師の『出家略作法』には、本師(受業師)前の卓上の準備物については、「菩薩聴受戒文」のところに出ているのだが、『小清規翼』ほど詳しくなく、ほとんど三具足と洒水器に関する指摘が見られるのみだといえる(安名は無い)。なお、瑩山禅師が門弟・孤峰覚明に授けたという『出家得度略作法』についても、やはり「安名」は見えない。

話を戻して、『小清規翼』の作法中で「安名」を授けるか?というと、そういう文言は見えず、代わりに以下の作法が見られるのである。

(十重禁戒を授けてすぐに)〈次に本師、戒脈を開き、師資の名字を照らし、弟子に授く。弟子頂戴して、懐中に納め了れば、本師焼香し、唱えて曰く、〉「衆生仏戒を得くれば・・・」
    同上、426頁下段、〈〉は割註


このようにあって、弟子に名前を授けることを儀礼としては行っておらず、ただ『戒脈(血脈)』に書かれた師資の名前を見せることで、弟子(資)の名前も教えたようである。ここからは、「安名授与」について、儀礼として立てずとも、「血脈披見」でもって、その作法の代替と出来ることを示している。

それから、「安名授与」の作法が見られるのは(成立年代は、『小清規翼』よりも古いが)面山瑞方禅師(1683~1769)に対し、明峰派の論客として得度作法や袈裟の問題などで論争した逆水洞流禅師(1684~1766)が宝暦2年(1752)に校訂した『剃度直授菩薩戒儀軌』に見える。

凡そ剃度の道場は、大殿に就く、或いは方丈なり。処に随う。先ず正面に仏像若しくは祖真を安ず。香華灯燭を供すべし。次に傍らに国王・氏神・父母の牌を安ず。次に堂頭の坐椅を設け、卓上に華燭・柄炉・洒水・界尺(界方の誤り)・式本・血脈を安ず。又、坐椅の左方に一卓を設け、三衣斉しく複子に包み、或いは台に載せ之を置くべし。曁び法鉢・坐具・直綴・安名・剃刀を安ず。
    『剃度直授菩薩戒儀軌』、『続曹洞宗全書』「禅戒」巻、133頁上段


このようにあって、明らかに「安名」を準備していることが分かる。なお、同儀軌の特徴としては、準備物などの指定が、それまでの作法書に比べて格段に豊富になっており、おそらく現代まで影響しているものと思われる。また、作法中に於ける「安名授与」についても明記されている。

(周羅の一髻を剃り終わり、「毀形守志節」偈を三篇唱えてから)次に新戒の安名を付す。
    同上、134頁下段


このようにあって、新戒(得度する者)に対して、「安名」を授けていることが分かる。なお、同儀軌には「安名」の書式についても明記され、「祝髮 某甲上座」(右に年月日、左に本師の名前と印)と書くべきだとされる。しかし、これは現代の一般的な書式とは異なっているようにも思う(拙僧が受業師老師から頂戴したのは、「祝髮」の部分に「安名」と書かれていた。ただし、これは門風かもしれない)。

そこで、この記事の結論としては、「安名授与」とは、江戸時代の得度儀軌の一部に見られることが分かった。だが、あくまでも一部であって、これが宗門全体の作法になったのは、昭和27年の『昭和改訂曹洞宗行持軌範』の成立か、明治期以降に刊行された、諸行事書を待たねばならなかったと推定できよう(それまでの得度式は、各室中の作法書に依拠)。しかも、『軌範』では、道元禅師の『出家略作法』に丸々依拠するのではなくて、逆水洞流禅師の見解なども反映されているようだから、儀礼として分かりやすい方法を模索したのであろう。

以上、「安名」という用語について、現状の作法に至る経緯を簡単に概観した。

仏教 - ブログ村ハッシュタグ#仏教
名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

※ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最近の「仏教・禅宗・曹洞宗」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事