つらつら日暮らし

『釈氏要覧』の「受戒次第」について

そもそも『釈氏要覧』という文献は、中国宋代の道誠によって編集され、天禧3年(1019)に成立した。全3巻である。仏教の入門者に対して、仏典に見える故実を紹介し、また辞書のようにも扱われるように、様々な語句・名目についても掲載されている。そこで、今回は以下の一節を見ておきたい。

  受戒次第
 報恩経に優波離、仏に問うて云わく、若し五戒・十戒を受けざれば、直に具足戒を受け得るや否や。
 仏言わく、一時に三種の戒を得ん。
 又、問うに、若し爾らば、何ぞ須らく次第して、先づ五戒を受け、次に十戒を受け、後に具戒を受くるや。
 仏言わく、仏法に染習するに、必ず須らく次第すべし。謂わく、先づ五戒を受けて、以て自ら調伏し、信楽漸いよ益し、次に十戒を受け、善根、転た深し。後に具戒を受ければ堅固にして退くこと難きは、大海に遊ぶが如し。漸漸にして深入す、仏の法海に入る。
 亦復た是の如し。
    『釈氏要覧』巻上


この一節の典拠は『大方便仏報恩経』巻6「優波離品第八」となっているが、既に【「三種戒」について(1)】で採り上げている。そこで、その時の記事で学んだことを活用しつつ検討すると、ここでいわれているのは、「受戒次第」とある通り、具足戒を受けるまでに、他の戒(五戒・沙弥十戒)を受ける必要があるかどうか、という話である。

そこで、『報恩経』では、優波離尊者の質問として五戒・十戒を受けないのに、直ちに具足戒を得ることがあるか、としている。それに対して、『報恩経』では、一時にその三種の戒を全て得るとしている。つまり、具足戒を受ける時に、合わせて、五戒・十戒も受けられるということである。

ところが、これには順番がある。それを「受戒次第」と述べているのだが、この場合は、順番として、最初に五戒、続けて十戒、最後に具足戒である。優波離尊者がその理由を尋ねたところ、『報恩経』では、仏法に染まるために、必ず順番で受けるという。それは、五戒を受けて自らを調伏するという。これは、仏道への入門を意味している。

次に十戒を受けて、善根が深まるというが、あれ?まさかこれは、「十善戒」ではあるまいな?でも、前回の記事で沙弥であるかどうか、ということが取り沙汰されていたので、やっぱり沙弥十戒か。そして、最後に具足戒を受けることで、仏法の大海に深く入っていくのである。

要するに、「受戒次第」とは、仏法に深く入っていくのに、必要なこととして受けられるものだということが理解出来る。

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