つらつら日暮らし

「伝衣」と「常衣」の話

ネット上での繋がりなのだが、昨年から御袈裟に関する勉強会を行っている。そういう中で、当方としては「伝衣」について興味関心を抱かざるを得ないのだけれども、それに関する記録を見ていたところ、気になる記載があったので記事にしてみようという次第である。

まずは、以下の一節をご覧いただきたい。

一 伝衣一頂 先年、当住瑾和尚に附す。
一 常衣一頂 宗円長老に遺附す。
    「宝蔵菴抄劄随身行李状」、『徹通義介禅師喪記』所収、『続曹洞宗全書』「清規」巻、原漢文


こちらは、曹洞宗の大本山永平寺3世・大乘寺御開山の徹通義介禅師(1219~1309)の御葬儀に関する記録である。現在『続曹洞宗全書』「清規」巻に収録されている本書は、義介禅師の法嗣である瑩山紹瑾禅師による記録だとされている。そこで、これが何について書いてあるかというと、義介禅師が遺弟達に授けた遺品の分配リストなのである。その中に、「伝衣」と「常衣」とあって、これは当然に御袈裟のことを指すため、今回検討してみたのである。

まず、「伝衣」とは嗣法の際に本師から法嗣に付されるものという印象はあるが、今回の場合、それは義介禅師から瑩山禅師に附属された。これには『法衣相伝書』という書状が熊本県内の寺院に伝わっているため、引用してみたい。

 右件の法衣は、永平開山初祖の袈裟なり。その地は細布なり。初祖の在俗の弟子のうち、山城国の生蓮房なる人あり。かの妻室、初祖に信心無二なり。みずから精進潔斎して調織し、はるかに越州の永平寺に持参し、供養し奉る所なり。
 初祖、信心無二の志に感じ、みずから裁縫して、尋常著用す。ついに宝治二年の夏、袈裟曩を縫って、これに納む。建長五年癸丑七月、永平寺の住持職をもって、二代和尚に付せらるる時、この袈裟曩をもって二代和尚に付嘱す。
 しかる間、往時十八年の間、上堂・布薩等、この法衣を著用す。およそ滅後二十八年、暫時も衣を離るることなく宿し、護持頂戴す。
 最後の病中、弘安三年戊寅八月十五日、義介を召して、示して云く、公は懐奘の長嫡なり。この法衣は先師、住持職とともに付嘱する袈裟なり。身において、最も尊重せる重宝なり。しかれば、法嗣、人多しと雖も、公は長嫡なるによって、すなわち付授せんとす。時に義介、三拝して伝領す。
 その後、十六年、これを頂戴し護持し来たる。
 永仁二年乙未正月十四日、紹瑾に付法する時、この法衣をもって、同じく伝授す。すなわち示していわく、この法衣は、すでに三代頂戴す。もって尊重すべき法衣なり。なんじ、入院・開堂・伝法のほか、著用すべからず。一生、恭敬し頂戴すべし。いま、
 延慶二年己酉九月 日 病床に在りて之を記す。
    『法衣相伝書』、原漢文


以上の通りなのだが、ここから、義介禅師より瑩山禅師へと附属された「伝衣」とは元々、道元禅師が所持しておられた御袈裟であり、道元禅師が晩年、永平寺の住持職とともに永平寺2世・懐奘禅師へと相伝され、更に懐奘禅師から義介禅師へと附属された経緯が示されている。

特に、懐奘禅師から義介禅師へと相伝される際の口訣には、「公は懐奘の長嫡なり。この法衣は先師、住持職とともに付嘱する袈裟なり。身において、最も尊重せる重宝なり。しかれば、法嗣、人多しと雖も、公は長嫡なるによって、すなわち付授せんとす」とあるため、いわゆる長嫡(一番弟子)にのみ附属された御袈裟であったことが分かる。

そうなると、義介禅師は長嫡である瑩山禅師に「伝衣」を授与されたのであり、『喪記』の記述も共通している。また、『喪記』では「先年」とあるが、上記『法衣相伝書』の記載から永仁2年(1294)に嗣法すると同時に「伝衣」も授与されており、それが改めて『喪記』にも記録されたことだと言えよう。

一方で、そうなると同じく義介禅師の法嗣である宗円長老への授与物はどうなったかというと、『喪記』の通り「常衣」とある。これは「伝衣(法衣)」とは別に、日常的に使用されていた御袈裟を指すのであろう。「伝衣」は、『法衣相伝書』に於ける懐奘禅師の被着法の通り、「上堂・布薩等」とあって、重要な法要の時に着用されたものと思われ、更には義介禅師から瑩山禅師への口訣にも「入院・開堂・伝法のほか、著用すべからず」とあるため、着用法からして日常的な「常衣」と区別されていたのである。

ところで、『続曹洞宗全書』「清規」巻には、義介禅師の『喪記』以外に5本が見られるが、残念ながら他には「法衣」「常衣」の区別を付けて記載されているものはなかった。特に、『法衣相伝書』後半の記載から、瑩山禅師より長嫡に位置付けられた明峰素哲禅師は、法嗣であり長嫡とした祇陀大智禅師へと「伝衣」を相伝されたはずだが、そのことを『明峰素哲禅師喪記』から窺い知ることは出来なかった。

この辺は、法嗣の数が増えてきて、更には法嗣同士が力を付けてくると、「法衣」のような一流相続がかえって混乱を招くと考えられた可能性など、色々と思ってはしまうが、既に邪推に近いため、ただ、記録上は分からないとのみ申し上げておきたい。そして、義介禅師の時点で「法衣」「常衣」の区別が存在したことを報告して、記事を終える。

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