それはさておき、7月にしようか、8月にしようか迷ったのだが、迷った時は両方でやれば良いか、ということで、「盂蘭盆会」に関する記事をアップしておきたい。とりあえず、以下の一節をご覧いただきたい。
盂蘭盆会に挙す、
臨済大師曰く、五無間業を造りても方に解脱を得べし。
師曰く、已に是れ五無間業を造れば、甚と為てか却って解脱を得ん。
自ら代りて曰く、譬えば月波楼跳して蟭螟眼裏に入るが如し。千聖小王怒を発し、将に鴛鴦湖に一脚にして踢翻すべし。
又曰く、瑠璃階上赤沙を布き、瑪瑙盤中真珠を撒す。
『東陽和尚少林無孔笛』巻2、原漢文
これは、臨済宗の大徳寺や妙心寺などで住持を務めた東陽英朝禅師(1428~1504)の語録から、盂蘭盆会について述べられた説法を訓読、引用してみた。これだが、盂蘭盆会に示された教えである。臨済義玄禅師が、「五無間業を造りても方に解脱を得べし」と述べているという。これは『臨済録』「示衆」からの引用である。
そこで、英朝禅師は大衆に対し、五無間業を造ってしまえば、どうして解脱を得ることが出来ようか、と問うたのである。確かに、「五無間業」については、「五逆罪」と同じ位置付けである。つまりは、仏教の中でも最重の罪である。
ただ、英朝禅師は自ら大衆に代わって答えを述べた。それは、「月波楼跳」に端的なように、仏法の不可思議なる働きをよくよく見極めることによって成り立つのである。ただし、その見極めとは、「瑠璃階上赤沙を布き、瑪瑙盤中真珠を撒す」とある通りで、本来、非常に価値のあるものの中に、別様のより強い価値を付け足すことである。
前者は瑠璃の階の上に赤い砂を敷くことであり、後者は瑪瑙で出来た盤の中に真珠を撒くようなものだというが、これは、供養の功徳が本具しているとしても、改めて盂蘭盆会の供養を行うことで、先祖へ回向することを意味するといえよう。
今日は、以上を簡単に見ただけだが、明日以降も「盂蘭盆会」の関連事項を見ていきたい。
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