つらつら日暮らし

今日は永平寺二祖・懐奘禅師忌(令和6年度)

今日8月24日は、永平寺二祖・懐奘禅師(1198~1280)の忌日である。現代は、明治期の改暦の関係で、9月の高祖忌の前段階で行われるものであるが、旧暦では8月24日であった。

・永平弉和尚、弘安三年〈庚辰〉八月廿四日に逝く、今、元亨三年に至りて、四十四年なり。 古写本『洞谷記』
・八月廿四日 永平二代忌なり。塔頭にて諷経し、茶湯・小供物を供す。 『瑩山清規』「年中行事」


以上の通り、懐奘禅師は弘安3年(1280)の8月24日に御遷化された。そこで、今日の記事に因み、拙僧が学んでみたいのは、次の一節である。

時に師聞て承諾し、忽に衣を更て再び山に登らず。浄土の教門を学し、小坂の奥義を聞き、後に多武の峰の仏地上人、遠く仏照禅師の祖風を受て見性の義を談ず。師、往て訪らふ。精窮群に超ゆ。有時、首楞厳経の談あり。頻伽瓶喩の処に到て、空を入るるに空増せず、空を取るに空減ぜずと云に到て深く契処あり。仏地上人曰く、如何が無始曠劫より以来、罪根惑障悉く消し、苦皆解脱し畢ると。
    瑩山禅師『伝光録』第五十二祖章、下線は拙僧


これは、懐奘禅師の参学過程を示したものである。他に記録が残っていないので、これはこのまま受け取っておきたいところである。懐奘禅師を受業師とした瑩山禅師のお言葉であるので、極めて重いといえる。

さて、その上で拙僧が気になるのが、下線部のところである。これは、懐奘禅師がまだ達磨宗で学んでいた頃、参学師であった仏地覚晏が示したことである。そこで、空そのものがどのようにも変わらない様子を示した後で、どうして、これまでの無限の時間から続く罪根や惑障をことごとく消し、苦から解脱することが出来ようか、としている。空が空で動かないのであれば、罪根や惑障は「有」の道理として動きようが無いといっているようだ。

これを思う時、懐奘禅師ご自身は道元禅師の下で大悟したともされているが、その遺偈に注意せざるを得ない。

八十三年夢幻の如し、一生の罪犯弥天を覆う、
而今の足下無絲去、虚空を蹈翻して地泉に没す。
    『永平寺三大尊行状記』「二祖懐奘禅師章」


懐奘禅師は、自らの人生は夢幻の如くであるが、自らが犯した一生の罪は天を覆うが如くに隠しようもないとしている。そして、自ら足下は蹤跡すら無いが、空を飛び越えて黄泉の国に没するとしている。ここで、実は空と有の道理を対比させつつ論じていることが分かる。つまり、自らの人生や蹤跡などは空である。しかし、自らの犯した罪や、その結果によって赴く先は有となっている。更に、懐奘禅師の自賛として、以下の偈も伝わる。

  自賛
罪業の所感醜陋の質、人中第一極めて人に非ず。
従来赤脚に唐歩を学す、未だ艸鞋を破せず本身を見る。
    『洞上夜明簾』2丁表、原点に従って訓読


ここでも、1・2句目が自らの罪業を感じて、大変に醜いさまであると卑下しておられる。後半は、そういった罪深い自分ではあるが、この自らの足で唐歩(仏道)を学び、まだ草鞋を履き破いてはいないが、仏陀の本身を見た、という境涯を示している。つまり、修行に不十分さを感じつつも、その境涯の奥深さを自覚しているが、その一方で罪業が残されていることになる。非常に複雑である。

拙僧が不思議だったのは、懐奘禅師による強烈な罪悪への自覚である。しかしそれは、達磨宗にいた頃からのものだったのかもしれないと思うようになったし、道元禅師の教えにも関わっているものか、とも思う。良く知られているところでは、懐奘禅師は道元禅師に、「南泉斬猫話」を通した罪相と別解脱の問題を尋ねている。道元禅師は懺悔さえ許せば、七逆罪を犯した者であっても授戒をも許すべきという立場であった。

ただ、この辺は幾つかの先行研究でも触れられるところだが、道元禅師の『正法眼蔵』「三時業」巻では、この「罪」の問題をかなり慎重に扱っている。

・かの三時の悪業報、かならず感ずべしといへども、懺悔するがごときは、重を転じて軽受せしむ、また滅罪清浄ならしむるなり。善業また、随喜すればいよいよ増長するなり。これみな作業の黒白にまかせたり。 60巻本系統「三時業」巻
・世尊のしめしましますがごときは、善悪の業、つくりをはりぬれば、たとひ百千万劫をふといふとも、不亡なり。もし因縁にあへば、かならず感得す。しかあれば、悪業は、懺悔すれば滅す、また転重軽受す。善業は、随喜すればいよいよ増長するなり、これを不亡といふなり、その報、なきにはあらず。 12巻本系統「三時業」巻


道元禅師は、おそらくは先に書いたであろう60巻本「三時業」巻では、懺悔の力を強く採って「滅罪清浄」とまで指摘する。だが、12巻本系統では悪業に関する懺悔滅は説くが、分かりやすい「滅罪」を説かないのである。しかし、懐奘禅師からしても、「滅罪清浄」は不思議な教えであったものか。なお、道元禅師の『出家略作法』でも、1カ所「滅罪」を説くが、これは出家時であるから、いわゆる授戒の可否を巡る議論と重ねて行われるべきであり、本質的な問題では無い可能性もある。

拙僧個人としては、この時代の祖師方が抱えていた罪相の問題に関心がある。まだ拙僧自身は解決できていないのだが、今回の懐奘禅師の伝記に、垣間見ることが出来た。後孫の拙僧としては、南無永平懐弉大和尚と帰依礼拝するのみである。

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