つらつら日暮らし

或る人が禅僧に問うた殺生と罪

以前、臨済宗の『塗毒鼓』に『葛藤集』という文献が収録されているのを見たが、いわゆる公案の本則ばかりを集めた文献で、江戸元禄期には存在していたことは明らかだが、編著者などは分かっていないらしい。

それで、当方なりに『塗毒鼓』所収の『葛藤集』を読んでいたのだが、最近、単行本の『宗門葛藤集』(柳枝軒・安政5年版)を入手したので、それも読んでいた。その時、或る一則が気になったので、採り上げてみたい。

 人有て恵覚禅師に問ふ、某甲、平生、牛を殺ことを愛す。還た罪有や否や。
 覚曰く、罪無し。
 曰く、什麼と為てか罪無や。
 覚曰く、一箇を殺し、一箇を還す。
    『宗門葛藤集』巻下・35丁表、原典に従って訓読


まず、恵覚禅師と聞いて、当方は最初、瑯瑘慧覚禅師のことかな?とか漫然と思っていたが、全然違っていた(;゜ロ゜)

この恵覚禅師は『景徳伝灯録』巻11に名前が出ている「楊州城東光孝院恵覚禅師」という人のことで、趙州従諗禅師の法嗣であった。時代的には9~10世紀くらいの人で、瑯瑘慧覚禅師は10~11世くらいの人だから、時代が違っている。当方のような研究をしていると、趙州禅師の法嗣というと、杭州多福和尚という人は読む文献にも名前が見えるので知られていると思う(竹の様子に関する絶妙な主張を行っている)のだが、この人については今回調べるまで、良く分からなかった。

というか、趙州禅師は『景徳伝灯録』に依れば13人も法嗣がいるらしい。

さて、先に引いた一則であるが、或る人がその恵覚禅師に質問し、「それがしは、普段から牛を殺すことが好きです。これには罪があるのでしょうか?」と尋ねた。すると、恵覚禅師は「罪は無い」と答えた。或る人は続けて、「どうして罪が無いのでしょうか?」と聞くと、恵覚禅師は「一箇を殺したが、一箇を還す(生き返らせる)からだ」と述べ、問答を締め括られた。

なお、この一則の典拠は、『景徳伝灯録』巻11のようで、残念ながらここのみしか無いので、更にどう展開するかは分からない。それで、ここ数年の拙ブログは、仏教に於ける戒律や軌範、それに付随して人の善悪や罪業についての問題を指摘することが多いので、今回も採り上げたのだが、最後の、「一箇を殺し、一箇を還す」が良く分からないな。なお、明代の『楞厳経』の註釈書では、食肉の問題に合わせてこの一則を採り上げているが、やはり、問者の業報の問題について、ナイーブなところを指示している。

それで、当方的にこの問題をどう考えようかと思ったが、2つの道筋を立ててみた。1つはこの恵覚禅師の問答の態度である。例えば、この人は或る時、法眼文益禅師(885~958)を訪ねたという。

 師、崇寿に至る。
 法眼問う、「近く甚れの処をか離る」。
 師云く、「趙州」。
 眼云く、「承聞するに趙州に栢樹子の話有りと、是や否や」。
 師云く、「無し」。
 法眼云く、「往来の皆謂わく、『僧問う、如何なるか是れ祖師西来意。州云く、庭前の栢樹子』と。上座、何ぞ無と言うことを得ん」。
 師云く、「先師、実に此の語無し。和尚、先師を謗ずること莫くんば好し」。
    『聯灯会要』巻7


このように、趙州禅師の処から来たと述べた恵覚禅師に対し法眼禅師が、趙州禅師の「庭前の栢樹子」の話はとても有名だと聞いているのだが、そうなのかね?と聞くと、恵覚禅師は「無いですよ」と答えた。法眼禅師が、「ここに来た者は、皆栢樹子の話があるといっているが」と再度聞くと、恵覚禅師は、「先師には実はそのような言葉は無いのです。法眼和尚よ、あなたも先師を誹謗しないで下さい」と返した。

これらの語からすると、誰もが当たり前と思っていることをひっくり返すことで、その意識の在処を問うのがこの人のやり方なのかもしれない。それだと、先の殺牛する人の罪業についても、普通なら殺生をすれば罪があると思っている人の常識などを揺らしているのかもしれない。

ただし、この恵覚禅師の法嗣である長慶道巘禅師(?~999)という人は三界唯心思想をかなり強く持っていた人のようなので、そういうところから読み解くことも出来るかな?と思ったが、やっぱり良く分からない。というか、罪業について、有るのか?無いのか?と考えている段階で、かなり危うい状況であることは確かだ。

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