七十一 去人来曰、此比、或長老、追腹切者に向て曰、後世義可心安、某能弔んと有ければ、彼者曰、我を吊ひたり。
師聞て曰、我ならば云べし、そのつれのばかを云か、道理であほうばらを切る也、一処に往けばよしと思ふや、今生にても、主と一処にある者、賢にして主の用に立者あり、亦愚にして主人の怨と成者あり、其上死しては、自由に一処に往くと思ふや、主は主、下人は下人、親は親、子は子、己己が業次第に、善処ゑも悪趣ゑも往く也、故に吊に仍て、業を転ずるぞと也。
『驢鞍橋』巻中、カナをかなに改める
「殉死」への批判というべき文章であるが、文脈はかなり捉えづらい。とはいえ、正三が語る内容だけは良く分かる。まず、全体を訳しつつ見ておきたい。
或る人が来て、正三に語るには、この頃、或る長老が追い腹を切る者に向かって、「後世の義は安心なされよ、それがしがよくご供養申し上げよう」などと言ったところ、その者は、我を弔って下され、と言った。
このことを正三が聞いて、もし私ならばこのようにいうであろう。その連れの馬鹿が、どうりで阿呆腹を切るわけである。死んだ主人と同じ処に行けると思っているのだろうか。今生でも、主人と一処にいる臣下は、賢しらで主の用に立つ者もいれば、愚かで主人から怨まれる者もいる。
その上、死んで、自由に主人と同じ処に行くと思っているかもしれないが、主人は主人、下人は下人、親は親、子は子で、各々それまでの行い次第で、善処にも悪趣にも行くものだ。だからこそ、弔い(供養)によって、それまでの行いの結果を変えていくのである。
以上である。どうやら、追い腹を切れば、主人と同じ場所に往生できると思っている者の考えを批判していることが分かった。良く、阿弥陀仏への信仰をお持ちの方が、墓石などに「倶会一処」などと刻むことがあるが、それもこの辺の考えであろう。なお、「倶会一処」は『阿弥陀経』あたりを典拠にしている。
そこで、正三はいくら追い腹だって、そのまま死んだだけでは同じ場所に行けないから、弔い(供養)をして、それが契うようにすべきだという考えのようである。
道元禅師の教えにも「殉死」批判をされていたのを拝見した記憶がある。道元禅師の教えは、また機会を改めて拝受したいと思う。
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