つらつら日暮らし

浄土宗に於ける盂蘭盆会について

いわゆる本尊が阿弥陀仏の宗派に於いて、釈尊の経説由来の盂蘭盆会がどう扱われているかについて関心がある。既に【『真宗百通切紙』に於ける盂蘭盆式について】は記事にしておいたが、今日は浄土宗に於ける盂蘭盆会のあり方を見ておきたい。

今回採り上げるのは、昭和14年に当時の浄土宗務所が発行した『浄土宗法要集』である。まず、差定は以下の通りである。

洪鐘
版木
法鼓
喚鐘
作相
入堂
香偈
三宝礼
表白(盂蘭盆会表白)
奉請六位
咒願
咒願
献供咒
釈尊三唱
頂礼六位
懺悔
行道
開経偈
誦経(盂蘭盆経、又は小経)
回願(いわゆる回向偈)
摂益文
念仏一会
別回向〈十念〉
総回向偈〈十念〉
総願偈
三帰礼
送仏偈〈十念〉
法話〈十念〉
退堂
    前掲同著、164~168頁、適宜抽出


我々洞門に於ける盂蘭盆施食会からすれば、法要の組み立て方は相当に違っている。お唱えする内容などは部分的に似ているものの、全体としては我々との差異は大きい。そこで、先に挙げた通りの問題意識、つまりは阿弥陀仏へのお唱えなどがあるのかどうかだが、途中の「誦経」に見る通りで、『盂蘭盆経』を基本にしている(ただし『小経』=『阿弥陀経』を唱えても良いとしているところが特徴的か)。それは、以下の通りでもある。

盂蘭盆経により僧自恣の日に行ふ。
三宝壇に盆牌を奉安し百味五果を献ず。
別壇を設け祖先父母等の霊牌を安置し香華供物等を供養す。
    前掲同著、164頁


ここからも、荘厳が『盂蘭盆経』に依拠していることは明らかである。また、表白文について見ていくと、次のような一節が見える。

時に今月今日、釈迦遺法の弟子等、謹んで如来解制の辰、目連救母の日に於て、香華湯燭百味五菓の珍膳を備へて〈中略〉仰ぎ願はくは、現在の父母並に過去七代の恩処、共に三界の牢獄を脱し、同じく九品の宝園に登らんことを。
    前掲同著、165頁


前半は『盂蘭盆経』に因む言葉であり、後半も同様なのだが、最後に「九品の宝園に登らんことを」というところに、いわゆる極楽浄土の考えを見ることが出来る。また、「回願」についても、少し気になる内容がある。

(洞門)以此修行衆善根
(同著)以此諷経念仏善


このような言い方について、拙僧自身は他にあるのかどうか知らないのだが、少なくともここではただの「修行衆善根」から、「諷経念仏善」と言い換えることで、種々の余行を廃し、正行としての念仏が主軸に置かれたことを意味していよう。ただし、この念仏を善行と捉えるのかどうか、この辺の微細な問題は残る。続いて、「別回向」以降に「十念」が行われることもまた、特徴だといえよう。

少なくとも、この作法全体では、阿弥陀仏の位置付けは曖昧であるが、回向偈などに「生浄土」の一句が見える。よって、最終的な会通は、無理しなくても出来たと言うことなのだろうか。

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