なお、篤胤にかかると、過去七仏についても批判の対象になってしまうようである。
さてこの仏道といふことをいふにつけては、古きよりどころをこしらへんでは、杜撰におちて、人が信ぜぬから過去の七仏と云をつくり、夫は過去の世、人寿八万歳のときに然灯仏と云仏が世に出て、
次に人寿七万歳の時尸棄仏と云仏が出世し、
次に人寿六万歳のときに毘舎婆仏と云仏が出世し、
次に人寿四万歳のときに拘楼留孫仏と云仏が出世し、
次に人寿三万歳のときに拘那含仏と云仏が出世し、
次に人寿二万歳のとき迦葉波仏と云仏が出世したり。
我今人寿百年のときに出世して、最正覚を成ぜり。
『平田先生講説 出定笑語(外三篇)』59頁
あれ?いや、何かおかしいぞ?!こういう組み合わせの過去七仏ってあったかな?それから、過去の仏陀の時代の「人寿」が長いことは、良く知られていることだが、「人寿五万歳」はどこに行ったのだろうか?ということで、その辺を明らかにしておきたい。まず、過去七仏の組み合わせについてだが、然灯仏って、過去七仏じゃ無いと思うのだが、どうなのだろうか。
なお、『大正蔵』の阿含部経典だと、『長阿含経』や『七仏経』に、過去七仏の話題が見られる。
汝等当に知るべし、
毘婆尸仏の時、人寿八万歳なり。
尸棄仏の時、人寿七万歳なり。
毘舎婆仏の時、人寿六万歳なり。
拘楼孫仏の時、人寿四万歳なり。
拘那含仏の時、人寿三万歳なり。
迦葉仏の時、人寿二万歳なり。
我れ今、出世し、人寿百歳なり、少出し多減す。
『長阿含経』巻1「第一分初大本経第一」
このように、「人寿五万歳」が出ていない。また、然灯仏も出ていない。もう一つの経典も見ておこう。
毘婆尸如来、尸棄・毘舎浮、
倶留孫世尊、倶那含・迦葉,
是の如く出世する時、各自の人寿の量、
八万、次いで七万、六万及び四万、
三万、二万に至り、是の如く釈迦仏、
五濁に出でて、人寿一百歳なり。
『七仏経』
ほぼ同じ内容であることが理解出来る。そして、上記の通りの「七仏」には、「然灯仏」が入っていないが、それで良いはずだ。しかも、用いられている訳語の漢字の問題で、ちょっと違ってはいるが、当方の理解にかなり近付いた。ただし、こちらもやっぱり「人寿五万歳」が無い。そこで、色々と調べてみたが、「人寿五万歳」を挙げる文献があったので、見ておきたい。
長阿含経に云うが如し、
過去九十一劫に仏の出世すること有りて、毘婆尸と名づく。人寿八万歳なり。
復た過去三十一劫に仏の出世有りて尸棄と名づく。人寿七万歳なり。
復た過去三十一劫に仏の出世有りて、毘舎婆と名づく。人寿六万歳なり。
復た過去賢劫中に仏の出世有りて、拘楼孫と名づく。人寿五万歳なり。
又、賢劫中に仏の出世有りて拘那含と名づく。人寿四万歳なり。
又、賢劫中に仏の出世有りて迦葉と名づく。人寿二万歳なり。
我れ今、出世して人寿百歳なり、少出し多減す。
『法苑珠林』巻8「七仏部第一」
・・・おそらく、先に引いた『長阿含経』と同じ箇所を参照していると思われるのだが、先の経典では「人寿五万歳」が無かった。しかし、『法苑珠林』では、「人寿五万歳」はあるが、「人寿三万歳」が無い。どういう意味なのか、全く不明。そして、繰り返しになるが、「然灯仏」が出て来ない。
それから、篤胤がこの「過去七仏」を採り上げて何を議論しようとしているのか、見ておきたいと思う。
又其妻摩耶夫人は寿命が短く来何月の何日に死ぬべきといふ。されが彼が腹をかりて世に生れよふと云事まで観じ、その腹へ仮に宿て出世したる者じやと云て、なをうたがひの者にはいざ其証を見せんと、彼大神通おあらはし大地の震動する如く思はせ、大地がわれると其地中より一つの塔がわき出し、其塔の中に彼の過去の七仏と立たる中の仏などがいて、善財々々と云て今釈迦の説る如くちがひなきことで我は今より過去三十一劫のむかし、人寿七万歳の時出世したりし尸棄如来なり、うたがふ事勿れなどいはする。
『平田先生講説 出定笑語(外三篇)』60頁
要するに、過去七仏とは、釈尊自身が自らの教説の根拠を示すために神通力で顕した塔の中にいた仏陀であるという・・・あれ?それって、「多宝仏」じゃ無かったっけ?
爾の時に仏前に七宝の塔あり。高さ五百由旬、縦広二百五十由旬なり。地より涌出して空中に住在す。種種の宝物をもって之を荘校せり。五千の欄楯あって龕室千万なり。無数の幢幡以て厳飾となし、宝の瓔珞を垂れ宝鈴万億にして其の上に懸けたり。四面に皆多摩羅跋栴檀の香を出して、世界に充遍せり。其の諸の幡蓋は金・銀・琉璃・車𤦲・瑪瑙・真珠・玫瑰の七宝を以て合成し、高く四天王宮に至る。三十三天は天の曼陀羅華を雨して宝塔に供養し、余の諸天・龍・夜叉・乾闥婆・阿修羅・迦楼羅・緊那羅・摩・羅伽・人非人等の千万億衆は、一切の華・香・瓔珞・幡蓋・妓楽を以て宝塔に供養して、恭敬・尊重・讃歎したてまつる。
爾の時に宝塔の中より大音声を出して、歎めて言わく
善哉善哉、釈迦牟尼世尊、能く平等大慧・教菩薩法・仏所護念の妙法華経を以て大衆の為に説きたまう。是の如し、是の如し。釈迦牟尼世尊所説の如きは皆是れ真実なり。
『妙法蓮華経』巻4「見宝塔品第十一」
最後の段落を見ていただければ分かるが、釈尊の前に現れた七宝の大塔は、その中から大音声が聞こえて、釈尊が大衆のために『妙法蓮華経』を説いたことを讃歎し、そしてその教えが真実であったことを証明してくれるのである。そして、この仏とは、以下の通りである。
此の宝塔の中に如来の全身います。乃往過去に、東方の無量千万億阿僧祇の世界に、国を宝浄と名く、彼の中に仏います、号を多宝という。
同上
つまり、この宝塔の中に在す仏陀は、多宝仏なのである。篤胤は何故か、「尸棄仏」だとしているが、その理由は不明である。ただの記憶違いだろうか?先ほどの然灯仏を過去七仏に入れていることも含めて、ちょっと間違いが多いように思う。そういえば、「過去七仏」という言葉は、ちょっと新しい印象である。いわゆる阿含部や本縁部、或いは律部でもいわゆる律蔵には見られず、大乗経典の『仁王般若経』などに見られるのである。禅宗では、完全に「過去七仏」を受容していたりする。それはまた、機会があれば記事を書いてみたい。
【参考文献】
・鷲尾順敬編『平田先生講説 出定笑語(外三篇)』(東方書院・日本思想闘諍史料、昭和5[1930]年)
・宝松岩雄編『平田翁講演集』(法文館書店、大正2[1913]年)
・平田篤胤講演『出定笑語(本編4冊・附録3冊)』版本・刊記無し
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