つらつら日暮らし

沙門と桑門の話

そういえば、出家者を指す言葉に沙門と桑門とがあることが気になっていた。沙門は「沙門最澄」(『法華秀句』など多数)などかなり一般的に見る表現であるが、桑門はそれほどでもない。少し調べた限り、日蓮聖人が『顕仏未来記』などの一部の文献で、「桑門日蓮」と署名しておられるようだ。

それで、沙門と桑門の違いについて、手元でちょっと調べてみたら、以下の結果を得た。

沙門と桑門、西国の出家の通号なり。
    『天台菩薩戒疏』巻中


まず、以上の一節から分かるのは、沙門も桑門も、西国(西天、インド)の出家のことだとしており、意味的な違いは無いということなのだろう。しかし、どうも日本の文献を見てみると、沙門は多く、桑門は少ない。この違いの由来を明らかにしなくてはならないだろう。

桑門とは、古人の訳経、名づけて桑門と為す。近くに云く、沙門なり。皆な是れ梵音の軽重の異なり。此に云く寂志なり。
    『肇論疏』


上記一節を読むと、訳経に於ける時代的な前後だとしている。梵音の軽重の違いについては、当方には良く分からない。それから、また別の話もある。

本旧経に云く、喪門、喪門の死滅の門に由る。云く其の法無生の教なり。名づけて喪門と曰う。羅什に至りて又た改めて桑門と為し、僧諱又た改めて沙門と為す。
    『弘明集』巻8「滅惑論」


6世紀前半に成立した文献では、以上のように指摘している。そして、なるほど、『肇論疏』に、沙門と桑門のことが載っていた理由も少し分かった気がする。

つまり、桑門とは喪門だったが、それを鳩摩羅什が意味的なことも考えてだろうか、「桑門」に改め、しかもその後、更に「沙門」になったという流れだったようだ。なお、ここまで採り上げなかったが、原語はサンスクリット語で「Śramaṇa」であり、「シュラマナ」と読む。

まぁ、その原語と漢訳された語との相関性について、当方では論じる力が無いが、とはいえ、「沙門」を新訳として用いるのが一般的となり、桑門と同じ意味だということ自体は、恐らく日本でも理解されていたが、一般的な表現では無いということなのだろう。

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