つらつら日暮らし

宗門在家信者の服制について(2)

これは、【(1)】の続きである。拙僧の問題意識に、僧侶以外の人が僧侶と同じ格好をされるとどうなるのか?というものがある。江戸時代の洞門学僧である面山瑞方禅師と万仭道坦禅師による『金龍軒問答』にも、ちょうどその問題が指摘されているので紹介しておきたい。

在家に袈裟を許すこと、永平の説もあれども、とくと考れば一概にはいはれず。優姿塞にも五段あり、もし断婬の優姿塞にもなりたらば五條を許容して晨昏三宝恭敬の時ばかりは用ひさせてよし。また仏制の離衣罪のことは、受具足戒の人に制せらる。俗人のことにはあらず。上衣の大衣は説法衣なれば、俗人不用なり、中衣の七條は入衆衣なれば俗人不用なり、下衣の五條は在家に許してしかるべし。これみな梵網菩薩戒の説によりて在家の菩薩に袈裟を許すなり。雲棲・永覚等は円頓の菩薩戒はしらず、ただ共声聞の戒ゆへに在家にゆるさぬなり。
    『続曹洞宗全書』「法語」巻・492頁


まず、この一節は面山禅師のご見解である。出家者と在家者の服装を分けることは、この時代からも特にいわれていた。読み解いていくと、まず、「在家に袈裟を許すこと、永平の説もあれども」とあるのは、「袈裟功徳」巻のことを指している。しかし、「とくと考れば一概にはいはれず」とし、その見解についても更に丁寧に検討している。

優婆塞(男性の在家信者)に「五段」があるとは、在家五戒の受戒と関係があり、例えば在家信者は護持できそうな戒の条文から守る「分受戒」があり、その全てを成就した人を「満分戒」というが、ここで「断婬の優婆塞」というのは、それを指すといえる。

それから、そういった優婆塞であれば「五條袈裟(絡子を含む)」を許容し、三宝への恭敬(おそらくは礼拝や諷経である)の時には着けて良いという。この辺は、中国明代の註釈ではあるが智旭『梵網経合註』巻6に「在家の二衆、誦戒及び入壇の時に於いて、亦、無縫衣を用いることを得、余時は得ざれ」とあって、「無縫衣」のため「五條」などの條数が規定されない。ただし、先ほどの面山禅師の戒めと同様の主旨であるように思われる。

また、「また仏制の離衣罪のことは、受具足戒の人に制せらる。俗人のことにはあらず」とあるが、南山道宣『四分律刪繁補闕行事鈔』などに「離衣罪」という用語が見られ、要は比丘が自分の三衣を、手放してしまうことで得る罪である。転ずれば、在家者(俗人)には関係が無いのである。

「上衣の大衣は説法衣なれば、俗人不用なり、中衣の七條は入衆衣なれば俗人不用なり、下衣の五條は在家に許してしかるべし」については、「大中小の三衣」について、その機能面から在家者にとっての要・不要を検討した箇所である。そして、大衣(上衣)は九条衣以上だが、こちらは「説法衣」であり、また中衣は七条衣で「入衆衣」であるため、これらは共に在家者には不要だと判断されている。一応、下衣のみは許すとあるが、「袈裟功徳」巻では「行道衣」「作務衣」などとも呼称されており、確かに叢林内でのみ使われるわけでは無いといえる。

さて、引用文の末尾は「これみな梵網菩薩戒の説によりて在家の菩薩に袈裟を許すなり。雲棲・永覚等は円頓の菩薩戒はしらず、ただ共声聞の戒ゆへに在家にゆるさぬなり」となっているが、「第四十軽戒」の「仏言わく、仏子よ、人の与に受戒せしむる時は、一切の国王・王子・大臣・百官、比丘・比丘尼、信男・信女〈中略〉一切の鬼神を簡択することを得ざれ。尽く戒を受け得しめよ。応に教えて身に著くる所の袈裟、皆な壊色にして道と相応せしめ」とあることが意識されている。ただし、この一条で、袈裟の話は比丘・比丘尼に限定される印象もあるが、面山禅師は「四衆」に対応すると判断されたのだろう。

そして、中国明代の雲棲袾宏や永覚元賢が、「円頓の菩薩戒(菩薩戒のみ)」の律儀を知らずに、声聞戒・律をともに受持しているため、在家に袈裟を着けることを一切許していないと批判している。雲棲や永覚の教えは、それとして学んでみたいので、今回の記事には採り上げないが、上記のことから面山禅師は洞門の在家者に対し、「五條袈裟(絡子含む)」のみは認めていることが確認出来た。

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