そこで、『偽書論』は寛永6年(1629)に作成され、著者は恭畏(真言宗、1565~1630)という方である。「偽書」とは、著者の名前を偽って作られた著作のことであり、内容に著しく問題があるにもかかわらず、その著者の名前だけで有り難がられてしまうということが発生してしまった文献である。恭畏は本書冒頭で以下のように述べて偽書を批判する
偽書の目録、先年に之を書写せしむると雖も、今度、重ねて祖師の勘文、少少書抜いて、授与す。努努、他見有るべからざるのみ。偏に是、破邪顕正の謂いか歟。傍流の族、正流の師伝を得ざるが故に、多端以て是の如きの偽書、実義と為す。太だ以て不可なり。慎まずんばあるべからず、慎まずんばあるべからず。能く其の趣を知りて、守惜して眼旰すべし。他をして披露せしむること莫れ。
『大正蔵』78巻915頁下段、拙僧ヘタレ訓読(以下、同じ)
以上から、正統的な教えとは師匠から伝えられるものであり、自分勝手に著作などだけで思想を学ぶ者は、結局は文献自体から思想の正邪を判断することが出来ず、ただ古いだけとか、著者が有名だとかいう理由だけで、勘違いをしてしまうことがある。これは、現在ネット上の情報になっていることで、ますます酷くなる傾向にあると思うが、当時からも似たような問題があったことが、この恭畏の指摘によって明らかになる。
そもそも「偽書」という現象は、内容として問題点がある場合があれば、伝えられている著者が違う場合もある。そして、恭畏は十三條にわたって、偽書とされる著作の問題点を挙げていくが、その問題点とすれば、或る時期に「偽書」を作る名人がいたらしく、同じ者の名前が数回出て来るのが分かる。
なお、興味深く拝見したもので、「深秘口訣」という書について「偽書」の判定がされるが、その理由として或る書写した人の年齢が本来36歳であるべきを「38歳」と書いてあったり、亡くなった年号についての不備があったりと、あまりといえばあまりに分かりやすすぎるミスだったようである。ただし、一方でこの辺が「偽書」を書くルールなのかもしれない。
以上、十三箇の書、此の外、別紙在り。右の偽書の目録の内、参差の文証、祖師勘記の分、少少抜書して之を授け畢んぬ。偏えに是、他門の疑難への答説と為すなり。傍流の族を謗ずるに非ず。此の外、真偽未決の書等多端なり。唯だ相伝の重書に非ざることのみ、斟酌有るべきものなり。
『大正蔵』78巻918頁下段
結局は、文献で知るしかないことについては、相伝を中心に判断すべきであるという。そういえば、「嫡嫡相承血脈」という文書についても批判されているようなのだが、これが何だったのか、個人的には気になる。
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