つらつら日暮らし

自恣と供養について(盂蘭盆会に因んだ学び・令和4年度版6)

今日は7月15日である。7月・8月の違いはあるにせよ、今日は盂蘭盆会(お盆)の正当として扱われる地域もある(参考までに、当方は8月)。それで、何故、今日なのか?といえば、盂蘭盆会の典拠となる『盂蘭盆経』で、以下のようにされることと関わる。

仏、目連に告げ、十方の衆僧、七月十五日に於いて僧の自恣の時、当に七世の父母及び現在父母、厄難中の者の為に、具飯、百味・五果、汲潅盆器、香油・錠燭、床敷臥具し、尽世の甘美、盆中に著くるを以て、十方の大徳衆僧を供養す。〈中略〉清浄戒を具うる聖衆の道、其の徳汪洋なり。其れ此等の自恣僧を供養すること有れば、現在の父母、七世の父母、六種の親属、三途の苦を出づることを得て、応時に解脱し、衣食自然たり。
    『盂蘭盆経』、訓読は当方


問題はこの「自恣僧」という字句なのだが、上記一節ではその「自恣僧」を供養すれば、現在の父母、先祖となる七世の父母、それ以外の親族なども皆、三途(三悪道)の苦しみから逃れられると明記されているのである。それでは、「自恣僧」とは何なのだろうか?上記の通り、「七月十五日」に「僧の自恣」が行われるとも書かれている。

それで、『摩訶僧儀律』巻27に見える「自恣法」項がとても良くまとまっているのだが、その全文を見るとそれなりに大変なので、冒頭の概要のみ確認しておきたい。

自恣法とは、仏、諸もろの比丘に告ぐ、今日より諸もろの弟子の為に自恣法を制す。三月、三語、安居竟、是処安居、是処自恣、上座より和合す、と。
    『摩訶僧儀律』巻27「自恣法」項


それで、上記項目では、「三月、三語」等について詳説されているのだが、今回、関係があるのは「三月」と「安居竟」である。つまり、「自恣」の日付に関わる部分である。

・三月とは、四月十六日より七月十五日に至る。
・安居竟とは、前安居ならば四月十六日より七月十五日に至る。後安居ならば五月十六日より八月十五日に至る。


以上の通りである。このように4月に始まった安居の終わるのが、「七月十五日」だとされる。よって、この日に「自恣」を行うことが分かるのである。なお、『盂蘭盆経』にもある通り、「自恣」をした僧侶とは、「清浄戒」を具えているという。それは何故なのだろうか?

正自恣法、「諸もろの大徳よ、若しくは我が罪を見る、若しくは我が罪を聞く、若しくは我が罪を疑えば、憐愍するが故に、自ら恣ままに説け、我れ当に罪を見て悔過すべし」〈三たび説く〉。
    『弥沙塞羯磨本』


敢えて、唱える文言のみを集めた文献から引用してみたが、これが「正自恣法」である。つまり、或る比丘が周囲の比丘に対して、安居中の自分について、何か罪を見た、聞いた、疑ったことがあれば、それを各々の比丘に、「自ら恣ままに説け」と促しているのである。ここから「自恣」という漢訳の語が充てられたという。

そして、自分の罪を知り、懺悔することで清浄になるわけである。更に、註釈書も見ておきたい。

云何が自恣と名づくるや。比丘、夏坐已に訖んぬ。智慧清浄比丘の前に於いて、見聞疑罪を乞う。乞う所以は、夏の九十日中、戒律及び余善とを持し、皆な毀失無きを明かすことを欲するなり。是の故に安居竟りて始めて自恣の名を得る。
    『毘尼母経』巻3


上記の通り、ここから自恣と安居との関係などが理解出来ると思う。結局、『盂蘭盆経』の立場としては、ここで清浄なる比丘衆がいることを前提に、供養をしようという話であって、その結果、自分の両親や先祖などが苦を脱すると考えられたのである。よって、今日という盂蘭盆会が実施されるのだが、やはり、本来の様子に復古するのであれば、盂蘭盆会を前に懺悔するという行事を入れることも必要なのかな?とか思うが、どうなのだろうか・・・

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