個人的に気になったのは、やはり以下の文脈である。
鉢器大小の数
十誦律に云わく、鉢・半鉢・大鍵𨩲〈鍵の音、処なり。𨩲の音、咨なり。経音疏云く、鉢中の小鉢、助鉢に用いる故に〉・小鍵𨩲〈僧祇に同じ〉
○四分律に云わく、鍵𨩲、小鉢に入れ、小鉢、次鉢に入れ、次鉢、大鉢に入る〈此の律に言う。小鉢、即ち十誦の大鍵𨩲なり。次鉢、即ち半鉢なり。諸律の四事に准じて見るべきなり。今、呼んで鐼子と為す。鐼の音訓切なり。韻に云く、鉄類なり。器に非ざるが故に〉。
『釈氏要覧』巻2「道具」項
中国で後代に作られた文献であるから、もちろん、どこまで実態を反映しているかは疑義も挟む必要があるが、しかし、ここから考えてみたい。
まず、本書では『十誦律』を参照しているが、これは、巻28・61辺りを合揉して示しているものかと思う。また、「鉢・半鉢」とあるが、律では「小鉢・半鉢」とあって注意が必要である。ただし、『十誦律』でも、実質的には「4つの器」を用いていることが分かる。
そして、更に『四分律』を対照させているのだが、そちらでは、以前の記事でも見たように、「大鉢・次鉢・小鉢」という三鉢の組み合わせに、「鍵𨩲」を加えている。また、『十誦律』との関係性の検討も試みているが、『十誦律』から見ていくと、「鉢」が「小鉢」であるが故に、難しい面が残る。『釈氏要覧』では、この辺の問題を、敢えて捨象してしまったのだろうか。
それから、『釈氏要覧』では、この小さな器のことを、「鐼子」と呼ぶとしているが、これは、確かに1103年に成立した『禅苑清規』の記載と合致している。『釈氏要覧』は序が中国宋代の天禧4年(1020)に書かれているので、『禅苑清規』よりも先行しているけれども、転ずれば、『禅苑清規』が成る頃には、中国では「鐼子」の呼び名になっていたということなのだろう。
なお、今回調べている内に、『摩訶僧儀律』を始め複数の律に「長鉢」の規定があることを知ったが、それはまた別の記事にしておきたいと思う。
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