つらつら日暮らし

或る学僧の『血脈讃題』

江戸時代末期に『伝光録』を開版した勝躅が知られる仏洲仙英禅師(1794~1864)の語録を詳しく読んでいた。その中に、『血脈讃題』という一節を見付けたので参究してみたい。

  血脈讃題
 仏仏の血脈、祖祖の肝腸。
 独尊の慧命、至聖道場。
 群生の帰処、含霊の本郷。
 心身の現在、相好著明。
 大意的的、体露堂堂。
 一面三世、箇裏十方。
 正法の符信、永代の紀綱。
 嫡嫡要を伝え、灯灯〈光を列す。芳を聯ぬ〉。
 過現未を通じ、已今当を貫く。
 高下平等、始終真常。
 恒沙の経数、八万の法蔵。
 周囲重畳、讃揚罄くし叵し。
    『円成始祖老人語録(巻中)』、『曹洞宗全書』「拾遺」巻、137頁下段、訓読は拙僧


四言の古詩による讃ということになるが、平声・下七陽にて韻が踏まれている。内容としては、まず間違いなく、具体的な『血脈』の讃であるといえよう。

意義としては、次のように理解できるだろうか。

仏仏の血脈であり、祖祖が肝心要としたところである。釈尊の慧命であり、聖者が道場としている。生きとし生けるものが帰趨する場所であり、全ての生物の本来の故郷である。心身の現在は、その姿が明確である。仏法の大意が明らかで、その本質も全てが露わとなっている。血脈の一面は三世であり、それが十方に亘っている。正法を伝える符信であり、永代に基本となる規範となる。正しく仏法の要を伝え、歴代の祖師方は灯火が光を列ねるようである。過去現在未来という時間的な三世を貫通し、血脈の中では仏祖の高下が平等で、始終は真実となる。恒河沙という数の経があり、八万の法蔵が究尽されている。周囲は喜び、讃揚してもその徳を尽くすことは難しい。

ほとんど直訳でお粗末なものだが、だいたいの意味を採ることが目的なので、ご寛恕いただきたい。

例えば、「正法の符信」というのが、この『血脈』の位置付けを明らかにしていると思われる。そして、「高下平等」とは、『血脈』全体が円相となっており、一番上部に書かれている釈尊と、一番下部に書かれている戒を受けた者が繋がれていることを示している。

ただし、この全体が「円相」であるということについては、語句が入っておらず、そういう認識については、やや乏しかったといえるだろうか。それよりもむしろ、『血脈』の宗教的価値などを讃えるものであったといえるだろうか。

また、この『血脈』に「恒沙の経数、八万の法蔵」も含まれていると考えている様子が見えるが、これは何とも禅宗らしい。

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