演祖曰わく、衲子、心城を守り、戒律を奉り、日夜、之を思い、朝夕、之を行ぜよ。行、思を越えること無く、思、行を越えること無し。其の始有れば、其の終成る。猶お耕せば之に畔有り。其の過、鮮しや。
『禅林宝訓』巻1
「演祖」というのは、臨済宗楊岐派の五祖法演禅師ということで良いのかな?そこで、「心城を守る」という話が出ているのだが、同時に「戒律を奉」るべきだという。そして、自己自身の身心を耕すと、「畔」が出来るので、誤りが無くなるという。
ところで、この「心城」については、『華厳経』「入法界品」などに見える。その場合、「心城」は24種類の効能に繋がっていくのだが、結局は調えられた自己の様子を示したものだと思われる。
それで、『華厳経』の註釈書を見ると、以下のような説示もある。
初中、応に心城を守護すべしとは、忍んで妄念を起こさざるなり。生死を離るるとは、妄念無く、惑造業を起こさざるに由る、故に離と云うなり。
『華厳経探玄記』巻20
心城の守護とは、妄念を起こさないことだという。よって、戒律の護持にも繋がるのだろうが、より、基本的な三毒への対応になっていることに注目したい。結果、妄念を起こさないことにより、生死を離れるという。妄念を起こさずに生死を離れれば、より解脱に繋がるわけで、非常に分かりやすい教えだといえる。
心城と言うは、謂わく此の心、乃ち正覚法王の居する所、万徳の聚むる所なり。以て成仏は、此の心を出でず。故に守護等を妙行と為すなり。
『大方広仏華厳経綱要』巻76
こちらは、より「心」を強調している。唯心論的発想であれば、こうなるのであろう。しかし、心を守ることを妙行としているが、「心城」であれば、守るイメージも強くなる。よって、学人への分かりやすさを思えば、「心城」が適切なのだろう。思えば、『禅林宝訓』では、田畠を耕し、畔を作ることで、より整然とした様子、つまりは、心を整える様子を示している。
要するに、禅宗とは、こういった心を整える修行を重んじる場合もあったということになるのだろう。唐代の禅僧達の一部に見える自由闊達な様子はそうかもしれないが、一方で、五祖法演禅師の弟子には、圜悟克勤禅師が出るなどし、そこには『碧巌録』といった著作が残る。
つまり、言語化を可能とする場面もあったということである。言語化は、当然に、或る種の整然とした様子に繋がるものだから、そこに帰着する教えがあること自体、問題は無いといえる。もちろん、言語化ばかりにとらわれたり、あるいは、心を整える様子も、繋縛のようになると意味が無いから、そこから外れようとする考えなり、言説もあるが、それもまた、一場面に過ぎないのだろう。
今日は、そんなことを思わせる文章を見てしまった。
#仏教
コメント一覧
最近の「仏教・禅宗・曹洞宗」カテゴリーもっと見る
最近の記事
カテゴリー
バックナンバー
2016年
人気記事