その宋朝禅が輸入された日本では、明確に11月1日だと示して、同様の上堂が行われる場合があった。
十一月旦、謝莫都寺の上堂。
寒風は地を匝い、寒雁空に横たわる。玉を弁じて正に按じ、甎を磨して旁に提ぐ。
頭頭都て顕露し、物物総て現成す。
何の故ぞ。
蓋し是れ英霊の衲子、只だ向事上見を為すのみ。
『龍宝開山特賜興禅大燈高照正燈国師語録』巻上
まず、この語録は京都大徳寺の開山となった宗峰妙超禅師(1283~1338)のもので、莫都寺という人が退任されるので、その仕事ぶりなどに感謝する上堂であった。
内容は季節として冬真っ盛り(現在の12月相当)ではあるので、寒風が地を払い、寒空には雁が横たわる(雁行の様子)ように飛んでいる。玉(悟りのこと)を正しく分けて按じ、かわらを磨いて側に掲げ持っているという。この辺は、悟りと現実の修行との関わりを示す言葉であろうが、かわらと玉では、玉の方を際立たせているといえよう。
そのため、その事物ごとに、全てが悟りとして現れているという。そして、大燈国師はその理由として、莫都寺とは、英霊の衲子(優れた力を持つ禅僧)であるとし、ただ仏向上の見解のみを見ているからこそ、全てが菩提になるとした。
なお、おそらくではあるが、都寺の「都」とは「全て」の意味であるため、「都」や「総」についての説示が行われたのである。「都」や「総」とは無分別を示す言葉であり、その境涯をもって、良く寺院を統括したのであろう。よって、その境涯を「向事上見」を示したといえよう。
また、役寮としては、毎年交替していたのは、激務であった「直歳」で合ったが、他は必要に応じて交替したようである。例えば、「首座」なども、現代では安居ごとに新たに定めるが、当時はそうではなかった。こういった叢林の役職についての変遷を知りたければ、江戸時代の法度の関係など、幾つかのことを確認しつつ検討されるべきなのである。
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