ところで、「先師忌」という観点で見てみると、例えば曹洞宗の高祖・道元禅師には、本師・天童如浄禅師の忌日に於けるご供養を寛元4年(1246)以降、ほぼ毎年修行されており、それは「上堂」の形式であった。しかし、その後、太祖・瑩山紹瑾禅師の時代には、いわゆる諷経も行われていた様子が分かる(ただし、急いで自ら註記すると、道元禅師の時代に諷経が無かったとはいえない。その判断が出来ない、という表現が正しい)。
さて、その意味では、先師忌の法要差定としては、以下の一節を参照しておきたい。
九月十四日先師大乗和尚忌なり。
十三日の晩間、法堂の荘厳は、如法なるべし。
昏鐘鳴諷経を、大夜諷経と称す。眠蔵前にて煎点す。
塔頭、又た諷経すべし。
十四日、小師計りて、伝供焼香礼拝し、主人跪炉し、維那宣疏して云く・・・(以下、「疏」は略す)
『瑩山清規』「年中行事」項
詳細は略して表現されているため、想像で補わざるを得ないが、おそらくは「十八拝差定」だったものか。この辺、他の祖師方へのご供養の様子と比較すると、理解が進むかもしれない。
八月廿四日 永平二代忌、塔頭諷経、茶湯小供物を供す。
八月廿八日 永平忌なり。祖師堂に供具を弁ず。達磨忌の如し。伝供焼香礼拝し、主人跪炉し、維那宣疏して云く・・・(以下、「疏」は略す)
同上
この内容からは、懐奘禅師(瑩山禅師にとっては受業師である)へのご供養は塔頭(永光寺であれば、五老峰伝灯院か?)で行われ、道元禅師へのご供養は祖師堂で行われている。また、懐奘禅師については、塔頭で献茶湯はされたが、「伝供」があるとは書いていないため、いわゆる「置き」か?
永平忌は道元禅師のことであるが、祖師堂で行われている。そして、伝供があるため、こちらは「十八拝差定」だったのだろう。
そこで、改めて先師忌であるが、上記二法要との相依は、「大夜諷経」が行われていることである。いわゆる前晩のご供養だが、それは法堂で行われ、また塔頭(ただし、こちらの実施時間は不明。13日か?14日か?)でも諷経されている。その上で、14日には弟子達が伝供を行い、堂頭が跪炉し、維那が宣疏している。
「疏」の内容から、諷経が『大仏頂万行首楞厳陀羅尼(楞厳咒)』であったことが理解出来るが、それ以上のことは分からなかった。『楞厳咒』は中国禅林でも唱えられ、道元禅師も唱えておられた(『永平寺知事清規』参照)ので、伝統的な陀羅尼を用いたということである。
ということで、拙僧も『楞厳咒』を唱えて、先師の無上菩提へと回向し奉ることとしたい。南無先師大和尚、合掌。
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