つらつら日暮らし

村山正栄『彼岸の信仰』に学ぶ4(令和4年春・彼岸会)

この春彼岸は、村山正栄『彼岸の信仰』(三密堂書店・大正14年)を学んでいきたいと思うのだが、今日は、「(二)暦説より見たる彼岸の語義と其来由」の項目について、概観しておきたい。

由来彼岸の語は暦に於いては時節の義に之れを解し、又仏説に於いては涅槃得脱の義なりとして之れを解したるより、自然に彼岸の語には二様の語義を含むものとして解せらるに至つたのである。今この二義を了別して各々其の説く所を明にし、以て彼岸の語義を問ふことはやがて是れ彼岸の来由を詳にすることである。
    『彼岸の信仰』3~4頁


この辺が、本書のスタンスである。つまり、「彼岸」という用語を、時節(季節)と、仏説の両面から探っていくのである。本章は、これを時節の側から見ていったのである。そこで、とりあえず以下の一節は確認しておきたい。

但しこの彼岸の語は唐暦には無く、いつの頃よりか我が暦に書き加へられたるものである。即ち世事百談、一には「彼岸といふはもの仏語にて到彼岸といふことなり。さるを暦本に書き加へて春秋分の時節の名目となりしは、いつの頃よりかいひそめけん。暦林問答集はじめこのかたの書どもに、たしかに証拠をいへる説も見えず。今は彼岸を農事の助けにのみ暦にしるすことぞおもはるゝ」と記する所である。
    前掲同著・4頁


「唐暦」というのは、中国の暦を指すのだが、確かに中国では彼岸会を実施していないので、無いわけであるが、しかし、昨日紹介した『見聞随身鈔』では「二八月の七月を神道には、天正と名く。天竺には時正と号し、大唐には彼岸と云う、云云」とあって、あれ?とはなる。これは何だったのだろう。いや、調べても分からないので、深めてもいないのだが・・・

それから、『世事百談』だが、山崎美成著の随筆で、天保12年(1841)の成立で同14年に刊行されている。同書巻1に「彼岸」の項目が見え、その前半部分が上記一節である。なお、上記では引用されていないが、『世事百談』では、天野信景『塩尻』からの引用も見られる。それはそれで、機会を得て見ていきたい。

また、『暦林問答集』は賀茂在方の著で、応永21年(1414)の成立、二巻二冊となっている。暦に関する基礎知識について得られる文献となっている。なお、上記でも『暦林問答集』には無いとなっているが、当方で見てみても、書いていなかった。そのため、同書成立の頃には「彼岸」を「暦」に加える状況では無かったか、あったとしても、太陰暦の『暦林問答集』で採り上げなかったか、どちらかであろう。

それから、「農事の助け」とは、春・秋の彼岸を起点に農作業が始まり、終わることを指している。おそらくは、この辺に意義を見出したのが、『世事百談』だったのだろう。そして、本書では、他にも幾つかの文献や事項を検討したようだが、いつ頃から「彼岸」が暦に加わったかは不明と結論付けた。

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