子登『真俗仏事編』巻5に収録されている「春秋彼岸仏事」という文章の続きを見ておきたいと思う。
〇第三説に云く、善導大師の観経の釈より起れり、彼の釈に云く〈観経正宗分定善義巻の三二葉出〉、念仏して西方往生の願行をなすには冬夏の両時を取らず、春秋の二節を取る、
其の故は、仲春〈二月〉・仲秋〈八月〉は正東より日出でゝ、直西に没る、
爾るに弥陀仏の国に直西日の没処に当る故に弥陀の在所を衆生に正く指示して往生の願を遂さしむと云へり、
今まこれに依て此時を彼岸の節と名づけて往生の業を為しむる時とす、
『真俗仏事編』巻5「雑記部」
3つ目の説である。これは、中国浄土教の善導大師(613~681)の見解を引きつつ、述べたものである。これは、『観経疏』なのだが、以下の一節が知られる。
問ひていはく、韋提上の請には極楽の境を見んと願ず。如来の許説したまふに及至りて、すなはち先づ教へて心を住めて日を観ぜしむるは、なんの意かあるや。
答へていはく、これに三の意あり。一には衆生をして境を識り心を住めしめんと欲して、方を指すことあることあり。冬夏の両時を取らず、ただ春秋の二際を取る。その日正東より出でて直西に没す。弥陀仏国は日没の処に当りて、直西十万億の刹を超過す。すなはちこれなり。
『浄土真宗聖典』397~398頁
上記の通り、善導和尚は、いわゆる「日想観」のことを議論しており、その意義が3つあるとしているのだが、『真俗仏事編』で問題にしているのは、第一のみである。意義としては、西方往生の願行をなすのであれば、冬・夏の二時を取らずに、春・秋の二節に行うものだという。
それで、この日のことを、「彼岸の節」と名付けたのだ、という主張を『真俗仏事編』では行っている。もちろん、これは説明としては少しく遠い印象があり、善導和尚自身も「彼岸」と呼んでいるわけではなく、また、善導和尚の仏事を「彼岸」と読んでいる理由は開示されていない。
よって、今後の検討課題としては、この仏事と「彼岸」という言葉との関係性について、正しく把握する必要があるということであろう。
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