さて、そんなフロイス師の報告に、次のようなことがありましたので、ちょっと考えてみたいと思います。
第1章-30 われわれは喪に黒色を用いる。日本人は白色を用いる。
一瞬、アレッ

と思っておりましたら、拙僧の寺がある田舎でも、一部こういった葬儀に白色の着物を着る習慣が残っておりまして、葬儀には行列を組んで死者を見送るのですが、これにわざと白い布で作った飾りを付けたり、白い裃を着たりするのです。或いは、この白い着物とは、穢れを払う着物として考えられていました。
そのようなわけで、“黒い喪服を着た未亡人”という或る特殊なフェティシズムを連想してしまうイメージは当時にはありませんでしたので悪しからず。ところで、黒色の衣類が喪服になったというのは、拙僧、中国の春秋戦国時代に春秋五覇の一人であった晋の文公の息子が、戦場に喪服(白)で到着し、このまま戦うのは悪いから墨で黒く染めたことから始まっていると思ってました。でも、なんか思い違いをしているかもしれません。
なお、宇多田ヒカルさんが『COLORS』という曲の中で「黒い服は死者に祈るときにだけ着るの~♪」と歌ってますが、これは結局の所、西洋的習俗であります。むぅ、やはりUtadaは帰国子女か。。。