というわけで、またルイス・フロイス師の著作にその様子を見てみましょう。
第6章-31 われわれの間では誰も自分の欲する以上に酒を飲まず、人からしつこくすすめられることもない。日本では非常にしつこくすすめ合うので、あるものは嘔吐し、また他のものは酔払う。
ちょっと生々しい表現で恐縮です。まぁ、ご飯を食べながらこのブログを見ている人なんかは居ないでしょうから、お許し下さい。それにしても、当時からしてこんな感じですよ。しつこくすすめ合って嘔吐したり、酔っ払う日本人を見て「やれやれ何をやっているんだか・・・」というフロイス師の呆れ顔(そんな様子は見せなかったでしょうけど)が目に浮かぶようです。しかも、ここから宴席という場所が、欧州が個人が自らの格好を決める、いわゆるのサロン的な(もしくは現代の政治家のパーティーのような感じ?)場所であるのに対し、日本は酔うことで自分自身のありのままを見せるというような強固な家族共同体的意識という意識に裏付けされての場所だった、というような対比が出来るかと思います。
したがって、フロイス師も以下のような事を書いております。
第6章-38 われわれの間では酒を飲んで前後不覚に陥ることは大きな恥辱であり、不名誉である。日本ではそれを誇りとして語り、「殿 Tono はいかがなされた。」と尋ねると、「酔払ったのだ。」と答える。
酒の飲み方1つでも、これだけ違います。皆さまも欧州の方と飲まれる機会があった場合には、酒の勧め方にお気を付け下さい。
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