第14章-35 われわれの間では偽りの笑いは不真面目だと考えられている。日本では品格のある高尚なこととされている。
第14章-48 われわれの間では礼節はおちついた、厳粛な顔でおこなわれる。日本人はいつも間違いなく偽りの微笑でおこなう。
・・・フロイスの態度は、本当に冷静に日本人の特徴を記録し、そして評価します。普通であれば「不真面目」なはずの「偽りの笑い」をされたら、気分を害してしまうと思うのですが、フロイスはその状況を務めて客観的に見ています。
現在の日本人も、やはり挨拶をするときなどは特に笑顔でもっておこなうことが良いとされておりますが、これは当時も変わらず「高尚なこと」とされております。その意味で、当時の日本人も対面するときには笑っていたようです。むぅ、自ら第六天魔王を名乗った織田信長も、やはり愛想笑いを見せたのか。。。「いつも間違いなく」とある以上、そうだったと考えておきましょう。
ところで、アンリ・ベルクソンの『笑い』(岩波文庫、林達夫訳)によれば、やはり西洋人にとって笑いとは、おかしさを感じてのモノであるようですから、愛想笑いというのは、余計なことまでおかしさの対象にしたと考えられ、気分を害したのではないかと思われます。それは、ベルクソンの次のような言葉を考えてのことです。
笑いは何よりもまず矯正である。屈辱を与えるように出来ている笑いは、笑いの的となっている人間につらい思いをさせなければならぬ。
『笑い』179頁
どうやら、笑いの的になるということはつらく、屈辱を与えられるようです。こういうことを知らずに、西洋人に笑顔で対処した場合、それ自体が何らかの問題をひきおこす可能性があるわけです。にもかかわらず、ほとんどの日本人はそういった自分の習慣が、相手にとってどのような意味を持つか?という事まで探究する方は少ないように思われます。
なぁんて、ちょっと笑いについて考えてみました。しかし、フロイスのこの本を読むに付け、ホント日本人って今も昔も変わってないなぁ、としみじみ感じた次第です。。。
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