13〔38〕 とはいえ、教皇によって与えられる赦しと、それへの参加は、決して軽蔑してはならない。何故ならば、これまで私が述べたように、それらは神の赦しの宣言だからである。
訳は当方
ここ数回の記事で、ルターはローマ教皇の赦しの範囲や効果などを批判的に述べてきたが、しかしローマ教皇の権能について、軽蔑できないことを指摘している。理由について、教皇の赦しは、神の許しの宣言だからだとしている。
ここで、少しここ数回読んできた印象を述べると、ルターは「神の代理人」とされるローマ教皇の位置付けを、正確に人間界に置くことを求めている。つまり、神の世界、神の力とは一線を画した存在として把握されている。転ずれば、その違いが理解されていれば、今度はローマ教皇の赦しが、神の赦しの宣言になるのだろう。
【参考文献】
・Works of Martin Luther:Adolph Spaeth, L.D. Reed, Henry Eyster Jacobs, et Al., Trans. & Eds.(Philadelphia: A. J. Holman Company, 1915), Vol.1, pp. 29-38
・マルティン・ルター著/深井智朗氏訳『宗教改革三大文書 付「九五箇条の提題」』講談社学術文庫・2017年
・L.チヴィスカ氏編『カトリック教会法典 羅和対訳』有斐閣・1962年
・菅原裕二氏著『教会法で知るカトリック・ライフ Q&A40』ドン・ボスコ新書・2014年
・ルイージ・サバレーゼ氏著/田中昇氏訳『解説・教会法―信仰を豊かに生きるために』フリープレス・2018年
・田中昇氏訳編『教会法から見直すカトリック生活』教友社・2019年
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