つらつら日暮らし

ハロウィンと仮装会

今日はハロウィンらしい。らしいというのは、何だか、先週末から今週にかけてすっかり盛り上がってしまって、平日の今日は何処か寂しい感じがするからだ。だいたい、ハロウィンの起源は、古代ケルト人の祭とされ、秋の収穫を祝い、悪霊などを追い出す宗教的行事であったという。ところが、アメリカなどですっかり民間行事となってしまい、宗教的な意味合いはほとんど無くなったとされている。また、“西洋から来た”祭であるが故に、キリスト教との関連を示すような文章を書く人が未だにいるようだが、キリスト教とは関係が無く、実際にキリスト教の中でもこの祭については賛否両論があることは知られている。

さて、それで以前から、ハロウィンの頃になると日本に於ける仮装行事(『奇態流行史』に載る、江戸時代末期の「蝶蝶踊」)などを採り上げるサイトが増えてきた。今年もまだその記事が残っているので、色々と見てきたのだが、拙僧の知見が十分ではないので、また別の文章を見てみようと思う。

 仮装会といつたなら、ソーソー井上さんが外務大臣の時、鹿鳴館で催つたっけ抔といふ人もあらうけれども、井上は、決して仮装会の本家では無い。日本に於ける仮装会の本家は、先づ豊太閤であらう。
 時は文禄三年六月二十八日、太閤には朝鮮征伐のため、肥前名護屋表滞陣の砌、陣中の徒然を慰めんとて、瓜畑など広く作りなしたる処に於て、瓜屋旅籠屋を、如何にも麁相に営み、戦国育ちの荒大名共が、銘々商人の仮装をして、遊び戯れたのである。
    長田権次郎『時代乃面影』裳華房・明治42年


江戸時代、太閤こと豊臣秀吉を描いた『太閤記』は複数が作られたが、最も庶民の心を掴んだのは、小瀬甫庵の『太閤記』であったとされる。実際に、甫庵のそれは史実とは言い難い内容であったが、そうであるが故に庶民の娯楽として適切だったといえる。

先に引いたのは、その中でも秀吉による朝鮮出兵時に、肥前名護屋で「瓜売り」の仮装をしたという話しなのである。そういえば、そんなこともあったっけと拙僧が思い出したのが山田芳裕『へうげもの』第9巻に於ける「瓜畑あそび」の一幕である。今思えば、『へうげもの』のその場面は、『太閤記』から採られたものであったのだろう。

これが、実際に行われたのかどうかは分からない。ただし、甫庵の記述は、さも見てきたかのように詳細で、各配役などについても記している。秀吉本人は商人姿であり、徳川家康が「あじか売り」、前田利家が「高野聖」であったなどと記されている。利家の演技は抜群だったともされている。人はどこに才能を持っているか分からないものだ。

それで、この仮装の一番良いところは、本来の立場や身分を忘れるところにこそある。本来同一の座席にいれば、必ず上下関係が生まれ、その人間関係は硬直化する。だが、秀吉はうまく行っていない朝鮮出兵時に、敢えて上下関係を取り払って遊ぶことで、改めてその一体感を生み出すつもりだったのだろうと思われる。

また、日本には猿楽や能などの文化もあったため、面を付けてその役になりきる形での仮装は、そう珍しいものでは無かったといえよう。

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