14 死を迎えようとしている者たちの癒しや愛が不完全であると、避け難いこととして大きな恐れがいつも付着してしまう。また、愛が小さければ小さいほど、恐れはますます大きくなる。
深井氏下掲同著・17頁
これは、教会の問題というよりも、死に行く者の問題を扱った1条である。この内容は、素直に文章を採れば、死に行く者については、しっかりと癒やしや愛を届けないと、その者にとって、死への恐怖が強く湧いてくることを述べたものである。よって、ここからは、死に行く者への宗教者の関わりを論じていることになる。
同じく、死に行く者が愛(この場合は神の愛か?)を感じることが小さければ小さいほど、同じように死への恐れが大きくなることを意味していよう。とある機会を得て、キリスト教の死生観についてお話しすることになり、ちょうど資料をまとめたばかりだったので、この辺はそれなりに整理出来ている。
要するに、イエス自身は生前の人のあり方を中心に置きつつ、死を受容し、自らは復活までした。パウロなどはそのイエスの「死と復活」を、キリスト者の信仰に転換しつつ、罪(原罪)を持って生まれた者の救われる方途を示した。結局、「贖宥状」はそこからずっと繋がった問題であり、上記の死に行く者への癒やしや愛について必要とされたことについては、宗教者が人の終末期に関わる理由としても理解されたのだろう。
教会法を見ていたら、「最終の塗油」という秘跡について述べられていた。死に行く者の意識がある中で、司祭が「愛徳にもとづいてこれを授与する義務をもつ」とあるし、死の危険にある時のみ行うことを促している。よって、これが臨終儀式の一つとしてあり、これが規定されていて、しかも司祭の愛徳に依拠しているとすれば、先の条文は、このことなどを指しているのだろうか・・・
【参考文献】
・マルティン・ルター著/深井智朗氏訳『宗教改革三大文書 付「九五箇条の提題」』講談社学術文庫・2017年
・L.チヴィスカ氏編『カトリック教会法典 羅和対訳』有斐閣・1962年
・菅原裕二氏著『教会法で知るカトリック・ライフ Q&A40』ドン・ボスコ新書・2014年
・ルイージ・サバレーゼ氏著/田中昇氏訳『解説・教会法―信仰を豊かに生きるために』フリープレス・2018年
・田中昇氏訳編『教会法から見直すカトリック生活』教友社・2019年
この記事を評価してくださった方は、を1日1回押していただければ幸いです(反応が無い方は[Ctrl]キーを押しながら再度押していただければ幸いです)。
これまでの連載は【ブログ内リンク】からどうぞ。
コメント一覧
tenjin95
このゆびとまれ!です
最近の「宗教」カテゴリーもっと見る
最近の記事
カテゴリー
バックナンバー
2016年
人気記事