大拙居士の盟友、西田幾多郎博士の文章から、道元禅師に関する記述を抜き出していたら、面白い記述を見付けた。
無心と云ふことは、単に無分別とか如赤子とか云ふことではない。道元禅師が支那から帰つた時、何を学んで来たかといふ人の問に答へて、何も取立てて云ふことはないが、唯「柔軟心」を得て来たと云つたと云ふ。
『日本文化の問題』、岩波書店『新編西田幾多郎全集』第9巻、55頁
正直、不思議な記載である。不思議というのは、拙僧自身、このエピソードを知らないためである。江戸時代くらいまでの、道元禅師伝を見ても、これに相当する記述を見出すことは難しい。この西田博士の一文は、どうやら大拙居士に影響を受けているらしく、それは以下の一文からである。
もう一つ道元禅師の云はれた言葉がある。その言葉と今の言葉(引用者註:身心脱落)を対照してみると非常に面白いことになる。これは前にも述べたが、道元禅師が日本に帰って来られて、「お前はシナに行って何を学んで来たか」と、或る人が云った時に、道元禅師は、何も取立てて云ふことはないが、「柔軟心」を得たと答へられたと云ふことです。
『無心といふこと』、岩波書店『鈴木大拙全集』第7巻、158頁
あきらかに、両者に対照関係があることは分かるのだが、しかし、ここでいわれている伝記的記述は、やはり間違いだと思う。道元禅師が良く、日本に帰ってきて発した言葉とも伝えられるのは「空手還郷・眼横鼻直」である。これは、『永平略録』などに載っている宇治の興聖寺を開くときに行った開堂の上堂語であり、ここにはそれとして得たものなど無く、ただあるがままの事実をもって仏法とする道取である。
ただし、ここからは、「柔軟心」は出て来ない。「柔軟心」が出てくるのは、以下の記述である。
道元、拝して白さく。作麼生か、是れ心の柔軟を得るとは。
和尚、示すらく。仏仏祖祖の身心脱落を弁肯するが、乃ち柔軟心なり。這箇を喚んで、仏祖の心印と作すなり。
道元、礼拝す〈六拝なり〉。
『宝慶記』第31問答
道元禅師が、中国で本師である天童如浄禅師から、「柔軟心」の説示を受けたことは明らかではある。しかも、中国で学んで来たことがこれだけだ、とは断定できないのである。無論、身心脱落に通じる説示であるから、それをもって「柔軟心」に代表させた可能性はある。ただ、さも、伝記的文脈の如く語られることには、違和感を覚える。
実際に、こういうことについては、特に明治期から昭和にかけて多く見られたことである。「これは、道元禅師さまが仰った教えで・・・」、或いは「瑩山禅師さまは、このようなことをされて・・・」といわれていても、江戸時代までの文献で確認しようにも、何処にも見えないことがある。よって、今となっては、「何かの勘違い」、或いは「ただの思い込み」で済まされてしまうが、ただ、このような物語の混入によって、その人の伝記や思想が重層化され、文脈が豊富になることもある。
悪意を以て付加されたものでなければ、一応はそのような語られ方がしたこともあった、と肯っても良いと思うわけである。ただ、それを伝記に必死に確認して、結果として何も分からない、ということがあっても気の毒だから、一応以上のように解き明かしておくことも必要だと思ったわけである。西田博士、大拙居士と、一時の禅ブームに乗って、2人の著作は大いにもてはやされた。その中で、道元禅師の伝記についても、以上の如く理解された可能性がある。ただ、真相は今日見た通りである。もし、今後類似した文脈を見ることがあれば、ご注意願いたい。なお、『新編西田幾多郎全集』では、先の箇所の註記に、その注意喚起を施している。まぁ、そうだろう。
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