滋賀県長浜市は、8月26日、戦国武将・羽柴秀吉(1537~1598)が、1582年に毛利氏方がこもる常山城(岡山県玉野市など)を攻撃する際に、各武将が率いる兵数を記した文書が見付かったと発表しました。
この文書は、「羽柴秀吉備前国児島攻め備」と称され、内容には「はまての衆」と記されていることから、城を海上から攻撃する軍に編成を指示した文書と推定できるとのこと。
これは、まだ織田信長に仕えていた秀吉が、「中国攻め」の際に行った攻撃に関わります。秀吉は天正10年(1582)3月には備前・備中に入り、同年の3月17日に当時は島であった備前児島で常山城を攻めています。これは、信長の4男で、秀吉の養子となった羽柴秀勝の初陣とされ、これまでは実際に行われたか疑問視されていたようです。しかし、秀吉軍に具体的な動きがあったことを示すものといえるようです。
なお、先のリンク先には、その画像が公開されており、武将の名前と兵数が記され、3月17日という日付や秀吉の花押(サイン)もある様子が分かります。まだまだこういうことで分からないことも多く、新文書の発見は歴史好きの人にはたまらないですね。
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