夜話の次でに去る僧云、町を通り見れば、用も無き物をちよつとほしいものかなと思ふ心出づる也。
師曰、夫れは餓鬼道に久しく在りし習気なるべし。
時に又一人在り曰、某も随分此心を滅せんと仕れ共、なにとしても失はず。
師曰、其心にさからうべからず、唯一筋に念仏せらるべし。念仏の功積らば、万事は自ら失ふべし、と也。
『驢鞍橋』上-66
この正三の指摘は、まさに、社会や、多くの事物に心惹かれてはならないことを示す。しかし、その煩悩を消すためには、どうすれば良いか、という実践的なことが示されている。
いわば、関心の方向を変えるということと、後は一意専心の状態を保持することである。
どうしても、何か好きなものがあると、それに心を奪われてしまうが、その好きなものを、念仏に変えてしまえば、自ずと優れた修行者になるというのが、正三の教えである。
或いは、坐禅に変えてしまっても良いかもしれない。
我々は、今指導を受ける際に、坐禅好きだとかが分かると、かえって恥だとかいわれるが、しかし、それを思って、坐禅をしなくなるよりは、坐禅した方が良い。
ものに把われる発想は変えず、それを修行に向ければよいという教え、まずは実践目標としてみても良いかもしれない。
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