十二月の異名は、師走、弟月、極月、歳晩、春待月、果の月等である。師走の意味でいえば、師走とは、「歳果つ」のつまつた呼び名である。
『新実用手紙文の書き方 (入門新書)』川津書店・1953年、145頁
まず、これら一々について検討していこうと思う。とりあえず、「師走」はこれまでも何度か記事を書いているので、割愛。
それから、「歳晩」ももう不要であろう。その歳の終わり(晩)という意味である。
問題はそれ以外だと思う。まず、「弟月」だが、読み方は「おとづき」が一般的で、他に「おととづき」「おとうづき」「おとごづき」などがあるという。それにしても、何故「弟」なのだろうか?何となく思うのは、「弟」ということは、兄に比べて「後」という意味合いがあり、それでかな?と思いきや、だいたい辞書などもそういう意味で書いているようなので、これはこれか。
後は「極月」だが、読み方は「ごくげつ」「ごくづき」「きわまりづき」など。一年が極まる月ということであり、名称としては単純か。同じようなのに、「果の月」もそう。こちらも、「歳の果て」なので、そう呼ばれている。
「春待月」も簡単。旧暦では、1月は春だったので、それを待つ12月は「春待月」となる。
あれ?意外と全部簡単。
むしろ、「師走」が一番ややこしいという結果になった。そういえば、上記説明では、「師走とは、「歳果つ」のつまつた呼び名」と説明されているが、「歳果つ」は「としはつ」だろうから、それを詰めて、「しわす」に・・・ならない気がするが、大丈夫だろうか?それよりも、「四季果つ」説の方が、説得力がある。
要するに、春夏秋冬の季節は、1年とともにまた新たに春となるので、「四季が果てる」月としての12月となるのである。そうなると、「四季果つ」が「しきはつ」となり、「しはつ」となって、「しはす」となる。
これもかなり厳しいが、そういう説もあるので、まずは挙げておきたい。「師」を坊さんだとするのは、「仏名会」に因むものというのも、そういう理解で良いようだが、問題はそれが余りウチの宗派に関係無いことか。ウチ、仏名会無いよね?
・・・大丈夫。面山瑞方禅師『洞上僧堂清規行法鈔』巻3「年分行法」項には無い。
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