若し、瓔珞経に依らば、戒師、羯磨の方法を作さざれば、初めに過去の一切仏を礼せしめ、次に未来仏を礼せしめ、次に現在仏を礼せしむ。是の如く三礼し已らば、法・僧も爾る所なり。次に三帰依戒法を受けしめ、次に三世の罪を懺悔せしむ。次後に正に十無尽戒を授く。
吉蔵『勝鬘宝窟』巻上
さて、ここで『瓔珞経』と言っているのは、『菩薩瓔珞本業経』「大衆受学品第七」であると思われる。だが、実際の原文とはだいぶ違っている印象である。
上記の文章を見ると、以下の差定となっている。
過去仏礼拝
未来仏礼拝
現在仏礼拝
法・僧礼拝
三帰依戒法
三世罪懺悔
十無尽戒
ところで、典拠と思しき、『瓔珞経』での差定については、以下の通りである。
仏、諸もろの仏子に告ぐ、今、正に正戒を説く。
善男子・善女人、当に受戒する時、
先づ過去世の尽過去際の一切仏を礼し、
未来世の尽未來際の一切仏を礼し、
現在世の尽現在際の一切仏を礼し、
是の如く三礼し已れば、法・僧も亦た然り。
仏子よ、復た四不壊信を敬信し、四依法に依止す、「今時より尽未来際身に至るまで帰依仏・帰依法・帰依賢聖僧・帰依法戒す」と、是の如く三たび説き已れば、
仏子、次に当に教えて三世の罪を悔過せしむべし、「若しくは現在の身口意十悪の罪、願わくは畢竟じて起らず、尽未来際ならんことを。
若しくは未来身口意十悪の罪、願わくは畢竟じて起こらず、尽未来際ならんことを。
若しくは過去身口意十悪の罪、願わくは畢竟じて起こらず、尽未来際ならんことを」と、是の如く悔過し已れば、三業清浄なること浄琉璃の内外明照するが如し、
即ち十無尽戒を与授す。
汝等、善く聴くべし。
「大衆受学品」
・・・こちらが少し違っているように見えたのだが、差定として書き起こせば、以下の通りとなる。
過去仏礼拝
未来仏礼拝
現在仏礼拝
法・僧礼拝
四不壊信・四依法(三帰依+法戒)
三世罪悔過
十無尽戒
いや、ほぼ同じだった。違っているのは、「三帰依戒法」と「四不壊信」の違いであるが、いや、これは、「三帰依戒法」という表現が、「三帰依+戒法」の意味だったとすれば、結局は受戒時のお唱えの言葉を加えたくらいで、同じ意味だったことが分かる。
ということで、余り面白くない記事になってしまった。それにしても、ここで思うのは、三世仏礼拝と懺悔と四不壊信(三帰依)との関係性である。順番が、「三世仏礼拝→四不壊信→懺悔」となっているが、この「懺悔」と「四不壊信」との順番が逆のこともある。
爾の時、我、為に四真諦を説く、長者、聞き已りて、須陀洹果を得て、心に慚愧を生じ、仏に向かいて懺悔す、「我れ本と愚痴なり、仏は幻人に非ず、而も是れ幻と言う。我れ今日より、三宝に帰依す」と。
仏言わく、「善哉、善哉。長者よ」と。
是れを随他意説と名づく。
『大般涅槃経』巻35「迦葉菩薩品第十二之三」
こちらでは、先に懺悔しつつ、その懺悔の後で「三宝に帰依す」と述べている。ただし、この場合、自己自身を懺悔することが、同時に三宝への帰依に展開しているようにも見える。よって、この三帰依と懺悔との関係は、また別の機会にも考えてみたいと思うが、今日はここまでとしたい。
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