つらつら日暮らし

あのくだら三三八九三ぼだい(拝啓 平田篤胤先生25)

このタイトルは、何かの誤表記では無い。平田篤胤(1776~1843)による『出定笑語』の本文に出ていることである。

無上正覚〈アノク多ラ三三八九三ホタイ〉
    版本『出定笑語』巻2・3丁表


これが、明治期の刊本になると、以下のようになる。

無上正覚〈あのくだら三三八九三ぼだい〉
    『平田先生講説 出定笑語(外三篇)』55頁


結局は同じことなのだが、いわゆる「阿耨多羅三藐三菩提」を、カナ(かな)と数字で表現したのが、「アノク多ラ三三八九三ホタイ」である。ちょっと気になったので、調べてみた。すると、江戸時代の謡曲などにも、類似した表現はあるようだが、他にも『和漢朗詠集』に、以下の1首が収録されている。

あのくだら三みやく三ぼだいの仏たち
  わがたつそやに冥加あらせたまへ 伝教大師(『和漢朗詠集』)


ただし、これは、本によって表記が違うようで、例えば講談社学術文庫本だと、普通に「阿耨多羅三藐三菩提」と書いてあった。それにしても、篤胤が示す「三・三八九・三(さん・みやく・さん)」は、篤胤以外にもこういう表記をした事例があるのだろうか?ちょっと調べてみたが、分からなかった。

それから、そもそも『出定笑語』本文で、割注がある場所も珍しいのだが、他に以下のような一節を見付けた。

夫は元々いちこ〈草鞋大王鮑魚神〉
    『平田先生講説 出定笑語(外三篇)』124頁


・・・???草鞋大王鮑魚神とは?と思っていたら、どうも、篤胤の『鬼神新論』という文献に出ているらしい。篤胤は、「鰯の頭も信心」という俗諺の説明に、以下の一事を挙げている。

赤縣にて鮑魚を祭りたる祠に祈りて感応ありし事また途の傍なる立樹に打かけたる草鞋の幾千となく積りたるを草鞋大王と号けて祭りたるに効験ありしと云ふの類、和漢に多くあり
    平田篤胤『鬼神新論』53丁表


どうもこの話らしい。要するに、赤縣(中国のことらしい)で鮑魚を祀った祠でも感応があったそうだが、日本でも、立てた樹に掛けられた草鞋(わらじ)が、幾千の日月の過ぎる間に、何やら神様のようになってしまい、「草鞋大王」と名付けて、神のように祈っていたという。

しかし、「いちこ」とは?それは、また、上記の箇所の連載に来た時に、詳しく見てみることにしたい。ということで、今回は少し本筋から外れてみたが、平田篤胤という人の言語感覚などを見るために採り上げてみた。

【参考文献】
・鷲尾順敬編『平田先生講説 出定笑語(外三篇)』(東方書院・日本思想闘諍史料、昭和5[1930]年)
・宝松岩雄編『平田翁講演集』(法文館書店、大正2[1913]年)
・平田篤胤講演『出定笑語(本編4冊・附録3冊)』版本・刊記無し

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