つらつら日暮らし

「第一官律名義弁」其三十二(釈雲照律師『緇門正儀』を学ぶ・32)

ということで、もう10回以上、釈雲照律師『緇門正儀』の「第一官律名義弁」の内容を見ている。なお、これは【1回目の記事】でも採り上げたように、「今略して、僧に位官を賜ひし和漢の官名、職名及び初例を挙示せん」とあって、職名の意味というよりは、任命された最初の事例を挙げることを目的としているようである。よって、この連載では、本書の内容を見つつ、各役職の意義については、当方で調べて、学びとしたい。現在は日本の役職となっている。

前回から「有職」項となっている。

一 探題〈即ち已講の称〉
毎年十月、興福寺維摩会にて、諸宗の僧の学行優長、五階を果せる者に屈して、講師と為す。明年正月、太極殿の御斎会、此の僧を以て講師と為す。三月薬師寺の最勝会の講師も亦た同じく之を請す。此の三会の講師を経たる者、次に依て僧綱に任す〈三代巻一〉。天長九年、大師最勝会講師。
    『緇門正儀』16丁表


「探題」というと、鎌倉幕府が設置した「六波羅探題」などで知られるが、元々は仏教の僧侶の役名だったらしい。

また、経典を論議するときに論題を選定して、更には論旨について評定する役だという。確かに、「探題」を訓ずれば、「題を探る」だから意味は通る。

逆に、「六波羅探題」は何故、「探題」が付いたのか?裁判の判定などを行うため、それで本来の用語が転用されたともいう。

ところで、上記一節に於いて気になるのは、「天長九年、大師最勝会講師」である。これは、天長9年が832年なので、時期的には弘法大師空海のことを指していると思うのだが、詳細は以下の通り。

(天長九年)一月十四日、最勝会が結願し、紫宸殿において護命等諸宗の学匠と論議をかわす
    「略年表」、『弘法大師空海全集』第8巻


『緇門正儀』で指摘しているのは、この一事であろう。ただし、既に弘法大師はこの一事が有っても無くても、出世には関係無かった気がするけど・・・

【参考資料】
釈雲照律師『緇門正儀』森江佐七・明治13年

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