仏言わく、「叢の薄深の処に於いては、其れをして北首にし、右脇にして、臥せしむ。草稕を以て頭を支え、若草、若葉もて、其の身上に覆う。
苾芻を送喪するには、能者をして三啓無常経を誦せしめ、并びに伽他を説いて其の呪願と為す」。
義浄訳『根本説一切有部毘奈耶雑事』巻18
この一節だが、義浄によって訳出されると、その後の中国仏教にも、少なからず影響を与えた印象がある。これは何をいっているかというと、比丘が亡くなった時の、葬送の仕方を述べたものとされる。まずは、北枕にして草の上に寝かせることなどを、書いているのである。
そして、能者(経や伽陀を唱えるのが達者な者)に『三啓無常経』を唱えさせ、更に、伽他(伽陀、偈頌のこと)を説かせて、その亡くなった者のための呪願にするというのである。
そこで、この一節にあるように、『無常経』の話が出てくるのだが、この辺に若干の疑問無しとはしない。まず、『無常経」というのは、釈尊が「無常」について説いた経典を意味するが、実はこの名前を冠する経典は確実に数本存在する。特に、訳経目録を見ていけば、『無常経』の名前は珍しくない。
ただし、それが、ここでいう比丘の葬儀において読誦されていたかというと、別の話になる。
残念ながら義浄訳出より前の律蔵では、比丘の葬儀について触れるところが少ない。当然、『無常経』という話も出てこない。一方で、義浄訳出の、根本説一切有部の律蔵には、複数見られるのと、ここでいう『無常経(特に、『三啓無常経』)』自体は、義浄本人が訳出したのである。
つまり、比丘の葬儀に『無常経』を唱える話は、義浄自身が訳した律蔵に見え、更には、その経典自体もここで訳されたことになる。よって、これがどこまで伝統的で、かつ、一般的だったのかは、他の検討を要するように思うのである。
先に挙げた一節は、後に『釈氏要覧』巻下でも、ほぼ全文が採られており、結果として『無常経』読誦は当たり前のように理解されているが、それをまずは疑った方が良い、という話なのである。疑うというのは、その真偽というより、実際の状況に対する自分自身の理解に対して、という感じではある。
そうなると、比較的古い時代の阿含部系の経典にも、比丘の死を扱う場合があるので、それを丹念に見た方が良さそうな気がする。今後の検討次第という感じか。
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